2007/04/28

長崎市長銃殺事件抗議4月27日集会

昨日は東京の総評会館で6時半から行われた「民主主義を封殺するあらゆる暴力を許すな! 長崎市長銃殺事件抗議4.27集会」に参加しました。昨年、加藤紘一議員の家が焼き討ちされたときにルポライターの鎌田慧さんなどが呼びかけ、私も呼びかけ人となり、「言論封殺のテロを許さない」集会を持ちました。そのときの仲間が今回また緊急に集ったのです。1週間の準備で220人が参加しました。

呼びかけ人には、漫画家の石坂啓さん、4月末まで国立市長の上原公子さん、弁護士の内田雅敏さん、ピープルズプランの小倉利丸さん、ジャーナリストの斎藤貴男さん、評論家の佐高信さん、WPNの高田健さん、ジャーナリストの谷内真理子さん、日本消費者連盟の冨山洋子さん、平和遺族会の西川重則さん、平和フォーラムの福山真劫さん、軍事ジャーナリストの前田哲男さん、エンパワメントセンターの森田ゆりさんなどが名前を連ねています。いずれも各界で平和のために尽力している方ばかりです。

この日の発言は、一番に上原公子さん。国立市長を2期満了し、先の市長選では後継者の関口博さんが勝利し、統一地方選挙で明るい話題を提供してくれましたが、国民保護法で政府に異議申し立てをした彼女に対する右翼の街宣車の連日の攻撃はすさまじいもので、その数は63台。でも彼女は「黙ってみていることは相手を許すことになる」と忙しい中、駆けつけてくれました。

2番目の発言は長崎出身の前田哲男さん。前田さんは伊藤さんが市長になる前から親交があり、彼がそれほど平和主義者ではなかった頃のことの話もしてくれました。その伊藤さんが市長になると、国民保護法の「核攻撃に対する避難」の部分について「核攻撃に対してどんな防御も避難も出来ない」と計画を作成することを拒絶。長崎の平和宣言では必ずアジアに対する日本の加害責任に触れ、その度に凄まじい攻撃を受けていたことも教えてくれました。

3番目は今回呼びかけ人に加わってくれた谷内真理子さん。彼女は1998年に「天皇に戦争責任がある」と発言して右翼の脅しを受けていた本島市長を銃撃される直前にインタビューし、それを岩波書店からブックレットで12月20日発表していたのです(『本島市長の発言』)。その頃の長崎市庁舎周辺は連日街宣車がうるさくて話もできないほどだったそう。そして年明けの1月18日、本島市長は撃たれました。そのときの犯人はもう刑期を終えて、今長崎の町を闊歩しており、彼らの間では「英雄」扱いだとか。今回の犯人も「英雄」にされるのでしょうか。

次は平和フォーラム、原水禁の福山さん。森首相が「次の選挙は自治労、日教組を壊滅できるかどうか」と発言していることを紹介し、我々は権力によって「壊滅」しなくてはならない対象なのか、憲法と民主主義の下に保証されいる言論や集会、結社の自由を認めていないのはなんと恐ろしい、と話されました。今の権力者たちには「国民主権」も「国民の権利」もじゃまのようですね。

5番目は内田雅敏さん。加藤邸焼き討ち事件の犯人が懲役12年に決まったそうですが、公判のたびに山形地裁に右翼やヤクザがあつまり、大パーティー状態だとか。もちろんこの犯人も英雄。放火をし、人の命を奪い、傷つけ、英雄視される世界ってなんなの??今、国家権力は市民運動は弾圧し、右翼とはなれあいです。私たちが暴力を許さないためにできることは集って、声をあげ、死者を悼み、このようなことが二度とないようにするしかありません。

次は私。あのとき食事を終えて第一報を聞いたとき、子どもたちと一緒に「いのちが助かりますように」と祈ったこと、それが翌日には亡くなられて、本当に悔しかった。捜査が進む前から私怨であることを強調し、この事件に幕引きをしようとしている権力側の意図は何?それをそのまま流すマスコミはおかしい。もっとちゃんと調べて。犯人の弁護人になった松尾千秋弁護士は日本会議長崎支部長でつくる会の長崎副会長。このままじゃ日本がテロ(暴力)で自由にものが言えない国になっていく(これって、戦前そっくりなんじゃない?)、と発言しました。そして、マスコミが伝えてくれない、というなら、私たち一人一人が伝い手になりまよう、とも。

そうそう、ブッシュ政権のことをよく「ネオコン(PNAC)政権」というけど、安倍政権もよくみれば、「日本会議政権」だってことに気づいた。日本会議の国会議員懇談会の会長は麻生太郎さん、会長代行に中川昭一さん、副会長に谷垣禎一さん、副幹事長には安倍晋三首相、小池百合子さん、小野清子さん、石破茂さんなど、日本の有力な政治家、そして財界有力者もずらり。これは影響力があるなんてものじゃない。

こういう人たちが「憲法を変えて(米国のいいなりで)日本を戦争できる国にしましょう」「日米同盟を強化しましょう」って、私たちの税金をどんどんアメリカに貢いだり、ミサイル防衛に使ったりしているのだから、たまらない。「テロには戦争しかない」って具合に力づくで物事を押し進め、それ以外の紛争解決、紛争転換、非暴力トレーニング、非暴力コミュニケーションなど、人命を奪わずに解決する方法の出番がない。

私たち平和省プロジェクトも「平和省国会議員懇談会」ぐらいつくる力をもたなくっちゃね。あなたの平和省プロジェクトへの参加が、平和省の実現を早めます。ぜひ、かかわってください。

続いて、平和遺族会の西川重則さん。日々国会を傍聴しているが、ここには民主主義ではなく数の暴力があることを痛感。民主主義とは異なる意見の持ち主が学び合い、共に生きること。それが失われている。1発の弾丸が有事を招くことがある、と1937年7月7日の盧溝橋事件のこと、サラエボでのオーストラリア皇太子暗殺のことなどを例に引きながら、有事は作られる、と警告しました。(私がいつも「戦争は勃発しない、しかけられる」と言っているのと同じですね)

8番目が冨山洋子さん。主権者として血がたぎる思いでいる。このテロは民主主義を殺したのであり、銃口は私たちにつきつけられたのだ。暴力を許す政権に異議を申し立てる。より良く生きたい、人を殺したくない、殺されたくないという私たちの思いを踏みにじる政権を許さない。次の選挙で彼らを政権の座から引きずり降ろしましょう、と一番元気でした。

最後が斉藤貴男さん。また石原が知事になって失望し、しばらく引きこもっていた。かつて文芸春秋の一番とっぽい記者と呼ばれていたが、今は文春では絶対に書かせてもらえない。ずいぶん頑張って取材し書いてきたけど、どれぐらい影響を与えられたか心もとない。(このあと、斎藤さんの話に聞き惚れていたのか、メモがなく、せっかくの発言を再現できません)。

全員の発言が終わって、また鎌田さんがしめの発言。「長崎はひきさかれた町。原爆が落ちて平和運動の先進地となったと同時に、三菱重工の兵器工場としてミサイル防衛の拠点でもある。今、温暖化対策という名目でまた原発が米国でつくられることになり、それを受注したのは三菱重工。六ヶ所村の再処理工場が動けば、日本は非核の国で唯一のプルトニウム生産を始める。日本は核武装して良い、という政治家もいる。反核と核推進がせめぎあい、一つの町を分断する。ねじれた感情が渦巻く。しかし民主主義の要の言論の自由を暴力から守らねば。正しいことを言って殺されるのだったら、首長になる人がいなくなってしまう。二度とこんな集会が開かれないように、それぞれの人がそれぞれの職場、家庭、地域で伝えていきましょう。」

本当にこんな悲しい集会は二度といやです。意見は違ってあたりまえ。そんなことで、いのちは奪わないで。

伊藤一長市長のご冥福を祈ります。

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