2007/11/25

愛媛への旅

松山から羽田へ戻る朝一便の飛行機の中でこれを書いています。これから東京でホ・オポノポノのワークショップに出ます。

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11月22日と23日にかけて愛媛県内3カ所で講演をさせていただきました。最初は平和省プロジェクト愛媛の鷲野ご夫婦の主催で久万高原という小さな町で。とても保守的な土地柄で何人ぐらいくるかわからない、と鷲野さんはおっしゃっていましたが、50人以上の方が熱心に話しを聞いてくださり、終わった後も書籍やDVDをほとんどの方が求められていきました。

その日の夜は、鷲野さんの子どもたちがおじいちゃんの所に泊まっていて私たちだけだったので、夜中の2時まで話しがつきずに語り合いました。風邪気味だったので渋々寝床に入りましたが、元気だったらあのまま朝まで語り明かしていたでしょう。

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由良野の森の管理人をまかされている鷲野さん一家は自分たちで家を建て(それが本当に地元の杉をふんだんに使った素敵な家なのです)、陽子さんは草木染めと機織りをするアーティスト。染料になる草木を育て、蚕を飼い、糸を紡ぎ、スカーフやカフェカーテンなどの美しい布を織り上げます。そして、畑では四季折々の野菜を育て、放し飼いの鶏の卵も食卓にのぼります。「大草原の小さな家」に魅せられた、という鷲野さんらしい素敵な生き方をされていました。

翌朝は鷲野さんの友人で木の家具や器を家族で創作している甲斐一家をたずねました。ちょうどその日は作品の展示会をしていて、素敵なお茶碗とお椀をいただいてきました。一生ものに出会ったのです。
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我が家もちょうど先週、ヒューマンシールドのせいちゃん(吉村誠司)と友だちが来て、我が家の南側に日陰を作っている大きな杉の木を伐採してくれたのですが、この木を使ってテーブルやいすを作りたい、と創作の夢が膨らみました。

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愛媛の山の中で大地に育まれ豊かに生きる2家族に出会い、同じ志を持つ魂の友がまた増えた喜びでいっぱいです。「すべてをそぎ落としたら、一番大事なのはこどものいのちだった」というお母さんの甲斐芳子さんの言葉に共感しました。こどもの病気をきっかけに全てを捨て、転地療養のために久万高原に移住し、一から木工を学び、家族で創作活動をする甲斐一家。芳子さんには著作もあり、ゆっくり読んでみたいです。この地でレストランを家族で始めるという甲斐さんの若夫婦も手づくりで家を建築中。レストランが開店したら、もう一度訪ねよう。

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午後からは愛媛県保険医協会で記念講演。あの有名な道後温泉にあるにぎたつ会館の会場はいっぱいでした。わたしの紹介をしてくれた方が『デニスクシニッチ』の本を持っていたので、うれしくなりました。この本は日本中に5千冊しかないレアものですからね(初版は売切れで、只今第2版を準備中です。もう少しお待ち下さい)。

参加者はみな初めて観るショッキングな映像に驚き、戸惑っていた様子もありましたが、「ひとりが2人に伝えていけば28日で日本中に伝わる」と言うと大いに元気づけられていました。マスコミが肝心なことを伝えてくれないなら、私たちが伝い手になり、私たちがメディアになるのです。

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それからつかぬ間の懇親会に出ました。そこには愛媛県選出の国会議員も同席してくれました。ありがとう!もっとゆっくりいろいろお話したかったけれど、次の講演会場の新居浜市へ。松山から60キロ離れていました。

ここは9条の会が活溌で夜7時からの講演会には200名近くの人が集まっていて驚きました。人口15万の都市で3連休の土曜日の夜にあれだけの人が集ってくださったことに感激しました。

終了後はやはりDVDや書籍が飛ぶようにうれて、『戦争中毒』は足りなくなったぐらいです。こうやって情報が共有され、日本人一人一人が戦争に加担しない、何があっても平和的紛争解決を選択してくれるように願います。

28歳のときに債券ディーラーをやめたときから環境問題の解決を目指して今日までいろいろなことをやってきたわけですが、最近は「すべての人が天命を知り、天寿を全うすること」がわたしの願いになりました。

わたしも天命を知り、天寿をまっとうしたい。
今日、友人の訃報に接して、ますますその想いを強くしています。
岩田憲明さん、ありがとうございました。どうか安らかに。

*あなたの応援が私に勇気をくれます。クリックをありがとう。

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