2010/08/05

生きること、死ぬこと(2)

今、病院の集中治療室にいる母を見舞いにいく電車の中でこれを書いています。

母が入院してからも、遠くに住む私は毎日お見舞いに行かれるわけではありません。世話の必要な子どもたちもいるし、96歳になる玄さんのお母さんも預かっているからです。

それにもちろん『ZERO』の劇場公開や「911映画祭+田中宇講演会」の開催に向けて、やることはてんこ盛り。時間的余裕はあまりありません。

母は脳梗塞から、呼吸が困難になり、のどから直接酸素が吸入できる手術をしました。ずっと意識がありません。意識が戻ってくれるといいのですが、主治医の話ではなかなかそれも難しそうです。

母の意識が戻ったら、私が母に伝えたいことはなんだろう。
母が私に言いたいことがあるのかしら?

そんなことを考えています。

人は生まれ、成長し、この地球でやると決めたことをやって(途中で何をやりにきたのか忘れちゃう場合がほとんどですが)、やがて誰もが肉体を離れます。

私もまた、肉体を卒業するときに向かって、今、こうして生きています。

生きている間は、この手足あたま・からだ・こころを使って、自分のやりたいこと、できることを思い切りやります。
母はそれを応援してくれている(いつもそうだったから)と思います。

母の意識がもし戻ったら、私から母に言いたいことは
「お母さん、私を生んで育ててくれてありがとう。私は大丈夫だから心配しないでね」
です。

マシュー君の本(とくに『天国の真実』)を読んでいると、肉体を離れても絆の強い人同士は、違うレベルでコミュニケーションをとることが可能なようです。私には経験がありませんが・・・。

でも、おかげで「死」というものを別の視点で観られるようになりました。

魂の世界が本当の世界で、今私が暮らしている肉体を持つ世界は、どうやら一時的に、肉体があるからこそできる勉強や体験をするために来ている場所、のようです。

この時代に、日本で生まれ育ち暮らしている幸運な私は、この地球社会をより良くするために、暴力を減らし、環境を守り、この地球を持続可能な星にし、人と人のつながりを強化することを、私らしく、大いに楽しみながらやっていくつもりです。

あなたが、このブログを読んでくれているのも、偶然ではありません。
多くの人が言っていることですが、この世に起きることはすべて必然でベストのことが起きているのだ、とつくづく思います。



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