言論機関が自由にモノを言わなくなったとき(政府の広報機関になったとき)戦争が近づいている、と私は思います。
吉田調書のことを抜いたのは良かったし(あの報道があったほうが、なかったより、私たち市民にとって、という意味)、あの「誤報」も解釈の違いに過ぎないと思っていましたら、今日、弁護士200名が朝日新聞に申し入れをした、という記事を見つけて、少しホッとしました(こんな風に感じていたのは、私一人じゃなかった)。
きくちゆみの不定期日記。家族で自給自足を目指した13年間の南房総生活を経て、2011年3月の福島第一原発事故を機にハワイに移住。現在、主にハワイで健康コンサルタントとして、日本で「マスターラスール (コネクションプラクティス認定トレーナーと、認定コースアセサー)」として活動中。 20代から世界40カ国を旅した結果、現在の暮らしを選択。我が家の食と暮らし、健やかで活力ある身体を維持する秘訣、心の平安を保ち周囲に広げるラスール(コネプラ認定トレーナー)を養成する「ラスールジャパン」の取り組み、福島の子ども達をハワイで保養する「ふくしまキッズハワイ」などについて綴ります。 私の関わるイベント・講演会情報もこちら(転載はご相談ください)。
ここに記事を書くのは何年振りでしょう。
ノリ・ハドルを日本に招いて、「ベスト・ゲーム 100人の地球村ワークショップ」をやったのは確か2002年だったと思う。その時の彼女のことをプロモーションしたブログを探そうと思ってここにやってきましたが、見つけられませんでした。
さて、本題。
私の長年の友人で、共著者「バタフライ もし地球が蝶になったら」でもあるノリ・ハドルさんが、彼女のエクアドルの自宅で1月23日に襲われた、という第一報を2月15日の深夜、受け取りました。
最初は、FBのいつもとは違うアカウントで写真もなかったので、なりすまし詐欺かな?と思いましたが、翌日、本人であることが判明。
それを受けて、すぐにハート脳洞察(もちろん、ショックだったので、感情的安心感をまず自分に満たし、それから彼女をサポートしたい、という本願に繋がってから)をしました。
コヒーランスをするとすぐに「バタフライを使ってクラファン」と答えが来ました。私はやっていたことを全部やめて、その通りにリザーブストックのクラファンを立ち上げました。
発表してすぐに20名近くがサポートしてくれ、びっくり。そして5日目にして45%達成。目標の100万円まで行けたら、本当に嬉しい。サポートしてくださった方に感謝でいっぱいです。
ここには、2002年に来日時のノリ・ハドルを直接知っている方がいるので、彼女に起きたことをこのブログでもシェアしますね。
ーーー「ゆみと玄のMAHALO通信」からの抜粋:
Mahaloはハワイ語で「ありがとう」です。
❤️ーーー❤️ーーー❤️ーーー❤️ーーー
私がまだ20代で米銀の東京支店に勤めて債券ディーラーをやっていたとき、ポール・ウィンター(私にザトウクジラの歌の素晴らしさを教えてくれたソプラノサックス奏者)のコンサートの楽屋@人見記念講堂で出会ったノリ・ハドル。
その時のことは一部ここに:
https://kikuchiyumi.blogspot.com/2008/04/blog-post.html
あれから34年ずっと 友として、メンターとして、互いにの成長を喜びあってきました。
その彼女がエクアドルの自宅で1月23日に4人組の強盗に襲われました。
そのことを最初に知ったのは、いつもとは違う写真のないFBアカウントで、「ノリ・ハドル」と名乗る人が「強盗に襲われた。価値のあるものはほぼ全部取られた。これは人生で最も困難な体験」と言ってきました。でもまだその時は、本当に彼女かどうか不確かでした。もしかしたら米国でよくある「なりすまし」のフィッシング詐欺かもしれない、と思いました。
「まさか、ノリがそんな目に遭うわけがない」とも思いました。でも、万が一本当だったら・・・と、彼女の本当のFBメッセンジャーでメッセージを送ると、既読になりません。本当にコンピュータも携帯も盗まれて、アカウントにアクセスできなくなったために、新しい別のアカウントを作って私に連絡してきたのかも、とも思いました。
翌日、本人と連絡が取れて、全てが本当でノリが強盗に襲われて怪我をしていたことを知りました。友人の助けで「GoFundMe」というアメリカのクラファンが始まったこともその日に知りました。私はまずそこに$369(弥勒菩薩のご加護があるよう)を送金しました(手数料を入れると$419になりました)。
ノリが強盗に襲われたことが本当だったことを聞いてショックだった私は、コヒーランスをしてハートに洞察を求めました。
「バタフライを使って、ノリを応援する」はっきりと答えが来ました。
それで、すぐ、このクラウドファンディング(クラファン)を始めました。
ノリに何が起きたのかについての顛末は、クラファンのページにより詳しく書いたので、そちらを参考にしてください。
ノリ・ハドル クラファン
https://resast.jp/shared_projects/index/1069
私が最も感動したのは、彼女が暴行を受けて拘束されている間、「このことを神様に委ねた」ということと、「自分たちを守るため、4人の強盗に愛を送り続けたこと」でした。
キリスト教の教えで「汝の敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」というのは聞いていました。しかし実際にそれをやれ、と言われて実際できるでしょうか。
私はこんな場面でとてもできないと思う。
「ボイスダイアローグ」のトレーナーでもあるノリは、自分の中のあらゆる声に耳を傾けたことも、正直さが満たされました。どの声も自分の大切な声の一つですが、自分自身ではない、ということ。それら複数の声から自分は選ぶことができる、ということにも感銘を受けました。
「私はベストゲームのプレイヤーとして、1番目のルールをとても大切にしています。それは「本当のことを話す」ということ。私はリチャードが暴行を受けた時、激怒していて、彼らを殺したい、と思いました。それは私の色々ある本当の声の一つです。でも私はそうする(殺す)ことを選びませんでした。」と話してくれました。
ちょうど、その前に、玄さんがデイコヒでチェロキーインディアンの狼の話(人の心には、暴力的な狼と、思いやりのある狼がいて、どちらが勝つか、という話)をしていたので、まさにその一例を見せてもらった感じです。
シンクロだ〜〜。
<二匹の狼の話>
ある晩インディアンチェロキー族の老人が、孫に、人々の心の中に起こる闘いの話をしていました。
「この闘いは我々の心に住む2匹の狼の闘いなんだ。
一匹は悪を象徴する。恐れ、怒り、妬み、悲しみ、後悔、欲、傲慢、自己憐憫、罪悪感、恨み、劣等感、嘘、うぬぼれ、優越感、エゴ。
もう一匹は喜び、平和、愛、希望、分かち合い、安らかさ、謙遜、真実、思いやり、信頼の象徴だ。」
孫はちょっと考え込んでいましたが、やがて老人に聞きました。
「どっちの狼が勝つの?」
老人は答えました「エサを与える方が勝つのさ」。
原文:Tale of Two Wolves
ONE EVENING, AN ELDERLY
CHEROKEE BRAVE TOLD HIS
GRANDSON ABOUT A BATTLE THAT
GOES ON INSIDE PEOPLE.
HE SAID “MY SON, THE BATTLE IS
BETWEEN TWO ‘WOLVES’ INSIDE US ALL.
ONE IS EVIL. IT IS ANGER,
ENVY, JEALOUSY, SORROW,
REGRET, GREED, ARROGANCE,
SELF-PITY, GUILT, RESENTMENT,
INFERIORITY, LIES, FALSE PRIDE,
SUPERIORITY, AND EGO.
THE OTHER IS GOOD.
IT IS JOY, PEACE LOVE, HOPE SERENITY,
HUMILITY, KINDNESS, BENEVOLENCE,
EMPATHY, GENEROSITY,
TRUTH, COMPASSION AND FAITH.”
THE GRANDSON THOUGH ABOUT
IT FOR A MINUTE AND THEN ASKED
HIS GRANDFATHER:
“WHICH WOLF WINS?…”
THE OLD CHEROKEE SIMPLY REPLIED,
“THE ONE THAT YOU FEED
強盗に襲われてから、初めて私とつながったのが、このデイコヒの時です。録画をシェアしますので、よかったらノリの話を聞いてください。
この時は、深呼吸をすると肋骨が痛そうで、左手は麻痺したままでした。それでもノリの思考と話はとても明晰で、愛とユーモアすら感じました(英語で話し続けるので全てを訳せなくて私は少し困りました)。
2月いっぱい、ノリ・ハドルを応援するクラファンを続けます。
3月1日に私たちは日本に飛びますので、その前に全額をノリに届くように手配してから行きます。引き続き、シェアや参加など、あなたが「喜びから気楽にできる方法」で応援してくださると嬉しいです。
p.s.
1万円の寄付をゆうちょにしてくれた方でお名前が「ノリハドルサンオウエンシ」となっている方がいます。どなたかわからないので、これを読まれましたら、私(きくちゆみ)までご連絡をいただけますか?よろしくお願いします。
p。p。s。
さて、本日は3月20日の「第13回広島グローバルピースコヒーランス」1ヶ月前となりました。こちらの参加登録もよろしくお願いします。参加費は無料です。登録してくれた方に録画をシェアします。
第13回広島グローバルピースコヒーランスhttps://resast.jp/events/898685
無料であなたのコヒーランス度をリアルタイムで測れるGlobal Coherence Appの設定の方法❤️ 2023年10月15日デイコヒ録画
今日、NVC(非暴力コミュニケーション)仲間の安納献さんから、ロバート・ゴンザレスが亡くなったことを教えてもらいました。
数日前から、朝6時のデイリーコヒーランス*でメキシコで治療中のロバートの状態が危ないことを川口久美子さんから聞いていたので、グループコヒーランスの中でロバートに健やかさと回復のエネルギーを送っていました。
彼と最後に会ったのは2017年に日本・熱海で行われたNVC集中トレーニングの時。私は通訳として参加していました。ランチで二人きりになった時があって、コヒーランスについて、そして私がやっている日本の自然療法にロバートが興味を持って色々聞いてくれたのを懐かしく覚えています。彼もハートマス研究所やコヒーランスのことを知っていて、話が弾みました。
さて、私が初めてロバートに会ったのは、BayNVCのLP(リーダーシップ・プログラム)に参加した時です。Mountain Home Ranchのセミナールームに一番乗りしたと張り切ってドアを開けたら、一人先客がいました。その人は私の開けたドアから遠い反対側の角に座って、瞑想しているように見えました(その時は、彼のことはまだ知りませんでした)。
ドアを開けてセミナールームの空間に入った瞬間、私の体に静かな衝撃がありました。何か波のようなエネルギーが届いて、その発信源が一番遠いところに座っている男性から来ているのがわかりました。
NVCを学ぶ気満々で、張り切って、ウキウキしていた私でしたが(エネルギーが上にある感じ)、その部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に急に静かになって、心が穏やかになりました。そして、明らかに静かな穏やかなエネルギーの源(彼)に向かってゆっくり歩いて、近くに座りました。
その瞬間、涙が溢れてきました。
なんの涙かわかりません。
平和が満たされて安堵したのかもしれません。
それがロバートとの最初の出会いです。とても不思議な体験でした。
その人が、そのクラスを教えるロバート・ゴンザレスだとまもなく知ることになります。以来、私はあちこちでロバート・ゴンザレスのことを話すようになります。
私がコネクション・プラクティスを教える中で、コヒーランスのトーラスの絵を説明するときに、ロバートの話をするのを聞いたことがある人もいるでしょう。
ハートの電磁場(コヒーランスのエネルギー)は90センチまで機械で測ることができます。実勢は90センチ以上届いているのですが、今のところ計測はできません。
でも、私は、ロバートとの初めての出会いの体験から、そのエネルギーが10メートル以上届くのを知っています。
「ゴンザレス五段活用」というのをコピーライターのみづほさんが命名してくれたことがあります。ゴンザれば、ゴンザるとき、ゴンザレ、という言葉を彼に因んで使っていました。
それはコヒーランスになって平和のエネルギーで自分自身と周りの空間を満たす、という意味です。
あのトーラスの絵を見るたびに、私はロバートを思い出します(つまりコネクション・プラクティスを教えるたびに)。
そこにいるだけで、平和の空間を創る人。それが私にとってのロバート・ゴンザレスです。
もう肉体を持った彼に会うことができないのは、とても寂しいです。
ビデオを見つけたのでシェアします。彼のエネルギーがあなたにも届きますように。
https://www.youtube.com/watch?v=FyvmKELm-pU
ロバート・ゴンザレス、私の人生にインパクトを与えてくれてありがとうございます。
ニーズの美しさやニーズ瞑想を教えてくれてありがとう!
これからもプラクティスを続けます。
光になって、これからも私たちを照らしてください。
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*デイリーコヒーランス(どなたでも参加できます)は毎朝6時から30分間、やっています。2018年4月26日から毎日欠かさず続けています。
Daily Coherence & Global Peace Coherence
ZOOM Link :
PW:369
ーーーーもうすぐ本番!
第8回広島グローバルピースコヒーランス:
https://resast.jp/events/594625
クリスマスMR合宿
https://resast.jp/events/621046
米国ブラウン大学の研究発表の記事が目に止まりました。
https://www.brown.edu/news/2021-09-01/costsofwar
ブラウン大学の「20年テロ戦争のコスト(費用・犠牲という意味がある)プロジェクト」からの報告によると、911事件からの20年に及ぶテロとの戦いで、米国は8兆ドルを使い、90万人以上を殺した、とあります。
今日は911から20周年。あのテロ事件で亡くなった方は2977人とされています。一方、その後の「テロとの戦い」で90万人以上が犠牲になった事実がショックでした。
暴力や戦争で人が殺されるのは、もううんざりで見たくないです。が、今もテロとの戦いはアフガニスタンやイラクから周辺諸国へ広がって継続しています。(それに「コロナウィルスとの戦い」が加わり、人類社会はさらに混迷しています)
当時、山の中で自給自足を目指しながら1歳と0歳の子育て中だった私は、何かに取り憑かれたように「対テロ戦争を止めよう」と可能な限りのリソースを投入して活動していたことを思い出しました。なりふり構わず、寝食を忘れて、子どもたちに寂しい思いをさせて、でした(特に3つ目は後悔しています)!
おそらく、アフガニスタンの乳飲み子を抱えた母親に自分の姿を重ねていたと思います。考えて動いていたのではなく、突き動かされていました。コネプラで学ぶ「認知的共感」ではなく「情動的共感」で動いていたのだ、と。
アメリカ人とイギリス人の友人とグローバルピースキャンペーンを立ち上げたら、神戸のレスポンス協会(阪神大震災の時に設立)のバウさんが全面的に協力してくれたのでした。
そこから一気に賛同が広がって、私たちは「テロに対して戦争をするのではなく、テロを必要としないもっと公正な地球社会を作ろう、困窮している人たちに手を差し伸べる方が戦争よりずっといい」、と主張しました。サダム・フセイン大統領が大量破壊兵器で米国を襲うテロリストだ、と考える米国政府に対して、米国が湾岸戦争(対イラク)で使った劣化ウラン弾の影響で白血病にかかった少女(や数多くの先天性障害の子どもたち)のことを訴えたりもしました。
そんな意見広告を米国の主要紙(ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ロサンゼルス・タイムズ)に出し、日米で「戦争中毒」という本の出版を助け、そのビルボード(看板広告)をハリウッドのど真ん中(ハリウッド通りとサンセット通りの交差点)に出したり、911関連のドキュメンタリー映画を次々と日本語に訳して国会議員会館でも上映会をし、東京平和映画祭を始めたり、911真相究明国際会議を主催したり、と自分ができることは全部、手当たり次第やりました。
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*911事件のドキュメンタリー映画や真相究明会議全記録のDVDにご覧になりたい方(911事件の公式説とは違う見方に興味がある方)は、こちらをクリックしてください。
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でも戦争は止められなかった。
やがて私は自分が何かに反対すると、それを強化する(例えば、戦争を止めようとすると、自分の周りに争いを生む、など)ということを繰り返し体験し、人生最大の挫折を味わいます。
ちょうど、昨日コネクション・プラクティスのトレーナー向けのトレーニングがあり、テーマはCompassion Fatigue(共感疲労)でした。(*共感疲労についてはこの記事が役立ちました)
2011年に311で福島第一原発が爆発(私が最も防ぎたかったことの一つ)したとき、それまで全力投球してきたことに意味が見出せなくなり、私は全てをやめました。同時に被曝の影響から身を守るためにハワイ移住を決行しました。人から猛烈な批判を受けたけど、完全に気力が失せた私は、一時生きてる意味が感じられなくなりました(子どもがいたので生き延びたと思う。いなかったら・・・・やばい)。
これって、今考えると共感疲労の症状だ、って思いました。
しかし、昨日、リタマリー・ジョンソンが教えてくれた共感疲労に対する彼女の対応をラスール仲間と一緒に練習したとき、ハートからの洞察がきました。
「あの時やったことが今につながっている」
と私のハートがはっきり言いました。
涙が出ました。
そうか、私がやったことは無意味じゃなかったんだ!!
確かに、あの時、対テロ戦争を止めたくて無我夢中に動いていたからアメリカやイギリスの平和活動家とつながりました。やがてデニス・クシニッチ(大統領候補)に出会い、彼の「平和省構想」に惚れ込んで、彼と本も出したし、全米平和省運動に加わりました。
そこでロンドンで行われる第1回平和省地球会議の情報をキャッチして参加し、日本にも平和省運動を立ち上げることができたので、2006年の第2回平和省地球会議に参加でき、そこでコネプラの創始者のリタ・マリーやNVCトレーナーのミキ・カシュタンと出会えたのでした(今も二人から学び続けています)。
その結果、私の本当のライフワーク「コネクション・プラクティス」を見つけられた。
この一連の流れに気づいた瞬間、「超越」が満たされました。
転機は2014年にやってきました。
「ゆみ、そろそろラスールにならない?」
リタマリーからある日突然、連絡がありました。
人生の目標を失っていた私をコネプラ認定コースに誘って、ラスール(コネクション・プラクティスのトレーナー)への道へと引き戻してくれたリタマリーに、改めて心からの感謝が湧いています。
今は自分自身にお祝いしたい感じ。
コネプラを伝え始めてから、私はかつてないほどイキイキと生きている実感があります。
「ゆみちゃん、よくやった。頑張ったね。そしてもう頑張らなくていいよ。あとはただコヒーランスしてハートにつながり、ハートの洞察に従って、ワクワクすることをやっていこう」って自分に言いました。
昨日、リタマリーが話したことで心に響く言葉を共有させてください。ラスール(コネプラトレーナー)仲間の野澤綾子さんがコラージュしてくれました。
「共感疲労」で心を麻痺させないためには、辛い残酷な悲惨な出来事を見聞きしたら、自分の感情に名前をつけて(悲しい、怖い、絶望した、無力感、など)、そして感情が導いてくれる大切なニーズ(愛、平和、パワー、希望、安心、安全、健やかさ、など)につながって、主なニーズのエネルギーで自分自身を満たします。それからハートフォーカス呼吸してコヒーランスになって、ハートからの洞察を得て、前に進みます。
これがコネプラを生きること。
コネプラはいつでもどこでもすぐ使える最高のツール、って思います。
「悲惨な出来事を変えたいなら、起きていることに気づいていることが大事です。気づきがなければ、現実を変えることはできない。その時にこのやり方を使って欲しい」、とリタマリーは私たち日本のラスールに言いました。
悲しいニュースが溢れる今、タイムリーに私(たち)に必要なワークを教わることができて、感謝でいっぱいです。
そして、リタマリーとコネプラに出会えた奇跡と、時間はかかったけれど(私に伝える準備ができるまで8年!)日本に生きる人たちに伝えることができ、受け取ってもらえた奇跡に心から感謝して、911から20年周年の今日を過ごします。
ありがとう。Mahalo. Thank you.
ごめんね I am sorry
許してね Please forgive me
愛してるよ I love you
(これはレン博士から教わった4つの魔法の言葉「Ho'oponopono」)
*コネクション・プラクティスに興味がある方は公式サイトをご覧ください。全国各地やオンラインでの学びの情報が得られます:http://rasurjapan.com
私の人生にNVC(非暴力コミュニケーション)が初めてやってきたのは、2003年に対テロ戦争を止めるために米国各地で講演活動をしていた頃です。
911同時多発テロの後、ブッシュ大統領が「最後のテロリストを殲滅するまで戦う」って、テロとの戦いが始まった。最初はアフガニスタン、そして次は「大量破壊兵器を持つイラクを攻撃する」(って大量破壊兵器はイラクになかったことがのちに判明)というブッシュ大統領をなんとか止めたくて、アメリカ人に向かって「戦争が始まる前に戦争を止めよう、止められるのはあなたたち」と乳飲み子(当時、1歳と2歳)を抱えて訴えていました。
そんな私に、聴衆の1人のアメリカ人男性が「あなたにプレゼントします。役に立つでしょう」と、カセットテープのたば(10本ぐらい)をくれました。
そのテープがマーシャルがNVCを教えているテープでした。
移動の車の中で聞いてみたけど、よくわからなくて・・・。そのテープはもうどこかに行ってしまった。覚えているのは、「この人、歌下手だなあ」ぐらい!
それからまもなく初めてワシントンDCで行われた「全米平和省会議」に参加した時、受付で渡されたのが「Speak Peace in the World of Conflict 」というマーシャルの書いた本。
「あ、あのテープの人だ!」って思った。
受付の人に、「この会議ではなるべくこの本に書かれていることを実践してください」と言われた。つまり、NVCの基本(観察、感情、ニーズ、リクエスト)のコミュニケーションをするように、ということだったのね。私はちっともできなかったけど!
その時もNVCのことはよくわからなかった。ただ、これまで私が参加してきた国際会議と違って、この会議では意見が違う人同士が互いによく聞き合っているなあ、と思った。
その本が今、私のバイブルになっていて、13回連続の「Speak Peaceブックスタディ」を玄さんとやっています(現在2回目)。
すごく深い学びになるし、1回目も2回目も満員で「またやってほしい」という声が上がっているので、5月から新規開催できるよう、準備しますね。(準備が整ったら発表します)
その後、アメリカで2004年の大統領選予備選に民主党から立候補したデニス・クシニッチが提唱した「平和省を創ろう」(彼のスピーチを聞いて、めちゃ感動した。その後すぐ、アメリカまで彼に会いにいって、彼と一緒に「デニス・クシニッチーアメリカに平和の大統領を」という本も出版した)、という運動が世界的な動きになって、平和省地球会議が2005年にロンドンで始まりました。
もちろん、私もロンドンまで行ってその会議に参加し、めちゃ感動して、日本に平和省創設を目指すJUMPを立ち上げたのです。そして、運命の第2回平和省地球会議がカナダで開催された時に、ファシリテーターとして参加していたのがBay NVCの共同創設者でNVCリーダーシップという1年間のトレーニングを始めたミキ・カシュタン。彼女のファシリが私が体験してきた他の国際会議のファシリと全く違うので、どきもを抜かれたのを覚えています。
それで2007年に第3回平和省地球会議を日本で開催する時に、ミキ・カシュタンにファシリをお願いしました。そのとき、通訳をしてくれたのが安納献さん。この時、ミキは日本各地でNVCワークショップを開催してくれました。
それまで私はNVCは英語でしか見聞きしてなかったので、「日本語にすると不自然だな、日本語ではこれは使えない」、って思っていました。でも、安納献さんの通訳を聞いた時、初めて、「日本語でもできるんだ!」って思ったのでした。
私はその頃、環境や平和の社会変革活動にどっぷり浸かっていて、「(私は)正しい・(相手が)間違っている」という概念しかなかった。自分の求める理想に向かって全力で行動していて、信条が強く、自分と考えが違う人にに共感するのは難しかったなあ。
今でもそういう時がある。
そこが私の限界でエッジだ、って気づいた。
それでNVCの学びを深めようと(英語で学ぶのが楽しかった、というのもあり)Bay NVCのリーダーシッププログラムという1年間の学びに参加したのが2010年。これは献さんが誘ってくれたから参加できたました。
これで私の進路が変わった。ありがとう、献さん!!
カリフォルニアの森の中で行われた初めてのLPで魂が震える、人生観が変わる体験をしました。翌年2011年は夫と2人で参加し(その中にユッキーもいた)、2012年(川口久美子さんがいた)から2017年までLP卒業生としてあの形でのLPが終了するまで8年参加し続けました。日本人参加者としては献さんと重子さん(お二人はアシスタントとして参加)に次いでLPの参加回数が多いんじゃないかな(たぶん)。
日本で今NVCを教えている人たちは、このLPの卒業生が多いです。
今はもうあの形のLPはやっていないけど、GLOBAL FESとかオンラインで学ぶチャンスが格段に増えています。そして、現在では日本でもLPのような長期の学びの場が日本人認定トレーナーによって開催されていることがお祝い(おめでとう)!
で、前置きがここまでで、ここからが本題。
私もCNVC(非暴力コミュニケーションセンター)の認定トレーナーを目指すと決めたんだけど(2010年に最初にLPに参加したときに決意)、それからずっと足踏みしている感じ。今は、Wild Spicy Giraffeというグループで「ポッド」を形成して認定プロセスを進めようとしています。ただ、私は日々のタスクが多すぎて余裕がなく、優先順位に「認定プロセスでやること」が上がってこないんです。
他のことをやって1日が終わるのが何年も続いている。
コネクション・プラクティスは今、日本でもオンラインでも教え続けているので、その中で基礎コースのパート2をやるときは、主にNVCが中心のテーマではある。ただ、認定のプレアセスメントのために提出するポートフォリオは全然やれていない。例えば、ジャーナル(NVC日記)とか鍵になる違い(KD)について自分の考えをまとめる、とか、地道な作業が苦手。
後からNVCを学んだ人たちがどんどん先に行って、自分は取り残された感があって、だんだん、「もう自分は認定はいいか(諦めようか)」ってなってきている。
当初のやる気と情熱が失われているかもしれない!!!
NVCは大好きで、世界のトレーナーたちも大好き。もっと大勢の人に伝えていきたいから、やっぱり認定を取ろう、とは頭では思っている自分がいる。
「NVC認定、諦めずに最後まで達成しよう、やり切ろう」とっている私と
「忙しすぎるから、もうやめたら。休息と気楽さ大事」と言っている私と
両方自分の中にいて、それぞれに名前をつけて、共感するるワーク(自己統合)をこの間、みんなの前で川口久美子さんがやってくれた。
そうしたら、最後には「マウイにいけ」という洞察にたどり着いた。
マウイには、私の大好きなNVC認定トレーナーのジムとジョリがいる。ジムは私たち日本人ポッドのアセッサーでもあるし、ジョリはメンターだ。日常の忙しい全てのことを一旦傍に置いて、集中して時間をとって、彼らのもとで修行する、みたいなイメージ。
さあ、それをいつできるかなあ?2021年中は無理そうだなあ。2022年かしら・・・。まだ見通しが立たない。
私は彼らのアシスタントを喜びからできると思うんだよね。いろんな授業の日本人向けの通訳も含めて。
1日24時間。
一年365日。
有限の時間を自分と他者の人生をより豊かにするために、どうやって使うか。
やりたいことが多すぎる私の永遠の課題です。
2月3日が誕生日でした。
今欲しいものは、日本国内にコネプラハウス(コネクション・プラクティスを実践する家)となる拠点。
それ以外では、ハワイでは手に入らない日本の美味しい体に良い調味料(味噌、醤油、だし、乾物など)かな。
他に欲しいものは、これといってないなあ。
むしろ、今は人生の後半に向けて物を処分して、身軽にしている最中。
あ、コンピュータスキルは欲しいけど、これは自分で練習するしかないものね!もっと学び成長したいこと、マスターしたいことは、今、みんなに伝えていることも含めて、いろいろあります。一生で終わるかなあ。長いリストがあるので、長く元気に生きないと、とは思っています。
今年の誕生日に私はこんなプレゼントをFBの投稿でリクエストしました。
https://www.facebook.com/yumi.kikuchi.39750/posts/5881085751916926
知りたかったのは、私に出会って、あるいは私がいることで、あなたの人生が何か豊かになったかな?、ということ(もしあれば、です)。
それがなんであるかわかれば、この後の人生でもそれを意識してやれたらいいな、と思ってリクエストしました(応じるかどうかは、100%相手に委ねられます)。
そうしたら、本当にたくさんの方が色々なメッセージを書いてくれました。
「大根を食べるようになった」なんて具体的なのは、本当に嬉しい。観察で伝えてくれて、ありがとう!
みんなのメッセージを読みながら、心が暖かくなり、目頭が熱くなりました。どの人のどのメッセージにも愛が溢れていて、今日もとても幸せな気持ちが続いています。
ありがたい。
FBに書いてくれただけでなく、個人的にも直接メッセージを受け取りました。
例えば・・・
私の妹分のようなアッキーナからは、こんなメッセージ:
ゆみさん
お誕生日おめでとうございます💖 ゆみさんと出会ってゆたかになったこと ゆみさんの本を読み 地球とわたしとのつながりへの理解や愛が深まり🌏∞💞 ローフードを実践して健やかであることの幸せや活き活きさが深まり🌱✨ コネプラを学び、自分自身とのつながりが深まり、多様な仲間が増えて、愛を感じる体験が増えました🌳🌴🌲❤️ ゆみさんの、大切なものを大切にする素直で具体的で実践的なあり方から、大切なものを大切にすることを表現できるんだというインスパイアを受け取り、地球で生きる事の希望が増えて、信頼と創造性も育まれています。 ゆみさんと出会えてとても嬉しくて幸せです☺️ゆみさん、ありがとう💓生きてて良かったなあ〜
本も書いて良かった。
コネプラを日本に伝えて良かった。
特に、コネクション・プラクティスとNVC、そして健康の秘訣の快医学や「ゆみザップ」の講座を受けてくれた方達からのメッセージは本当に具体的で嬉しい。
人生が豊かになる、って・・・
例えば、安心とか気楽さとか愛とか健やかさとか効率とか、その人その人なりの何か大事なことが、私と出会ったことで満たされた、ということ。(この考え方はNVCから学んだ)
今年、私は50歳で折り返して41歳。
そして来年はいよいよ40歳!(え、なんで!って声も聞こえるけど)
一段と高い目標に向かって
人生をかけて学び成長して、
自分の生まれてきた目的(自分とその周りをより平和に健やかにすること。「周り」の範囲は可能な限り行けるところまで・・)を達成します。
4月に日本に戻ります。コネプラの認定コースがあるからです。
熊本で開催される快医学の世界大会に4月23日〜25日に参加します。
その前は島根県でコネプラ基礎コース1・2・3を開催します。
ゴールデンウィークは千葉県でも基礎コースと快医学(ハーモニクスヒーリング)講座をやります。
また、どこかでお会いしましょうね!
風の時代になって、以前よりずっと生きやすくなっている私です。