2011/08/03

平和の漫画家・西岡由香さんの見た福島「祖先に対して償いきれない」

福島第一原発で検出された10シーベルト、殺人的です。6〜7シーベルトで99%致死量ですから。この大事なニュースが「なでしこジャパン」の国民栄誉賞報道で消えてしまったとか。
http://twitter.com/#!/rawota/status/98517916672204801

さて、今日の本題。

長崎の友人で平和の漫画家として活躍する西岡由香さんが「放射線管理区域を超える線量の中で行われた」原水禁大会で福島へ行ってきました。そのときの報告を転載します。彼女の瑞々しい感性を通じて、今福島で何が起きているかを多くの人に知ってほしいです。

私は個人的にともかく子どもたちを一人でも多く、放射能の影響の少ないところに避難できるようにしたい、と「つなぐ光」で活動しています。沖縄へ飛び立った20人の福島キッズは毎日元気いっぱい、遊んでいます。
http://mothership2012.ti-da.net/e3514663.html

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こんにちは、長崎の西岡です。
おととい、昨日と福島に行ってきました。
黙示録の断面に触れたような・・様々な思いが私の中に渦巻いています。
舌足らずですが報告記、ごらんいただけたら嬉しいです。


7月31日、雨。福島駅前で開かれた原水禁大会は、全国から集まった人波1800人で埋まりました。駅前広場の空間線量は、
安全とされる0.1マイクロシーベルトの10倍の1マイクロシーベルト/時間。

線量のJPG

誰かが「歴史上初めて、放射線管理区域内での集会だ」って。地元の方々が次々にマイクを握って訴えました。

「福島県民200万人のうち20万人が県内避難をし、根なし草になってしまった。逃げ回るうちに心身ともに疲れ、病み、福島全体が疲れている。屋外活動を禁止されている子どもは10万人。去年は福島に530校の修学旅行があったが今年は30校。福島は夏競馬があり、競馬場の表土を入れ替えることになったが、学校や保育園は未着手。私たちは競馬馬よりひどいのか。

放射能を恐ろしいと感じるのは、その人の感性と想像力と知識によって感じ方が全く違う。そのことで人々の間に格差が生まれている。事故以来、病人は3倍多く亡くなっているし、希望を失った酪農家や農家の自殺など、数字に表れない犠牲がある。飼育していた豚はとも食いをしながら餓死していった。数字に表れている死はほんの一点にすぎない。子どもに「将来の夢」の作文を書かせても書けなくなった。放射能は夢や希望までも奪い去ってしまった。原発ほど、世代間不公平を作り出すものはない。

「この時期なら見えるはずの水田が見えないんです。いつもなら青々とした田んぼが水をたたえているのに、40km四方、去年刈り取った稲株がそのまま白く腐っている。沈黙の春です。日本人がはるか昔から途切れず続けてきた農作の糸が切れてしまった。祖先に対して償いきれない」

福島市内のホテルに宿泊し、翌日、希望者80名で南相馬市と飯舘村に向かいました。月曜日の朝というのに学生の姿も、出勤する人々の姿もほとんど見かけません。時々見える人はほとんどがマスクなし。福島駅前から90分ほどで南相馬市役所に到着し、すぐに桜井市長のお話が始まりました。

「市長になって2年目ですが、南相馬市がこんなに有名になろうとは。毎日、背筋が凍る思いで過ごしています。71000人の市民のうち3万人が町を離れた。小中学生は6千人だったが今は2300人。受験生を持つ親は来年募集があるのか、まだ決まっていない。一番苦しんでいる
のは一般市民。この国は学校現場で放射能の勉強をさせない方向できたのではないのか。国からは「10km圏外は防災計画を持っては
ならない」と言われてきた。母親たちは「1ミリシーベルトでも帰れない」と言う。福島市でも夏休み中2千人が転校する。3月11日後、南相馬は電気も電話も通じない陸の孤島となり、国から原発事故の連絡がきたのは3月17日、東電からは3月22日。日本のメディアは放射線が怖いからかすべて去っていき、かわりに外国のメディアがどんどん入ってきた。南相馬市は原爆が落ちたような恐怖心の中に皆が置かれている。市長として3月15日、独断で住民避難をさせた。その中には未だに戻れない住民もいて「避難させられたんだから補償しろ」という住民もいる。原発からの距離で、国の補償額は線引きされていて、住民同士に補償格差が生まれている。邪推かもしれないが、住民をズタズタにする戦術かもしれない。多くの住民がいま闇の中にいる。彼らの気持ちにそい、現場から発信していかなければ。世界史的な災害だからこそ、世界史的な復興をとげることが大切」

市長のお話は20分。すぐ次の用事へと発って行かれましたが、会場からは「各都市が“非核都市宣言”のように“脱原発都市宣言”をしては」という意見も出されました。

そして飯舘村へ。家の中に洗濯物を干している一軒以外は、ほとんどカーテンが閉められた主のいない家が連なっていました。
突然断ち切られた時間のはざまに、村全体がぽっかり浮いているようでした。

空間線量4.24マイクロシーベルト。
地面に線量計を置くといきなり上がり始めて26.8マイクロシーベルト。
雨どいの下 112マイクロシーベルト。

顔を覆いたかった。私たちは、限りない恩寵を人に与えてくれていた自然に対してなんてことをしてしまったんだろう。「花をさわるな」と言われて育つ子どもたちや、自然から切り離されたヒトはもはやヒトではない何者かに変容していくんじゃないだろうか。

たった数分いただけでも怖かった。放射能は、「得体の知れない恐怖そのもの」でした。人々が恐怖と疲弊のあまり警鐘に耳をふさぎ、「安心安全」に頼ろうとしても、それを頭ごなしに責めることは、もう私にはできない。飯舘村。

原爆の焦土が終末的空間なら、ここはいったいどこなのだろう。人の寿命と放射線の寿命。この世の時間と、この世ではない時間のかさなり。石牟礼道子さんは水俣を「苦海浄土」と呼んだけれど、ここは「陸の苦海浄土」だ。人がいなくなった村に、白や赤い花々が風に揺れていました。

長崎へ帰る飛行機のイヤホンから、バッハの「G線上のアリア」が流れてきました。バッハは300年後の人々に聖水のような旋律を届けてくれた。私も、未来の人々に一滴の聖水を届けるような作品が描けるだろうか。答えを探す旅はこれからです。
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西岡由香さんのこれまでの作品はこちら:
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%90%BC%89%AA%81@%97R%8D%81/list.html

私は「今」ご縁の方が少しでも元気に生きられるようなことを日々実践し、発信していきたいです。今は塩麹と玄米麹を使ったローフード、黒入り玄米(コーヒー)などを日々の食生活に取り入れ、実践しています。あと飽和脂肪酸とラウリン酸の多いココナッツオイルにも注目しています。ガン対策は免疫をあげるしかないからです。

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