2019/02/21

次の本の「あとがき」のたたき台

昨年から丸一年、コネクション・プラクティスに私が出会い、これに人生を賭ける選択をするまでの変化を綴りました。

そしてコネプラを通して出会った仲間の20名の体験記も一緒に本になります。

今、最後の公正が終わって、あとがきを書いています。
これはその下書きになる原稿です。

ところでこの本は、私が30代の頃に書いた「地球と一緒に生きる」、40代で書いた「地球を愛して生きる」に続く三部作として出版されます。

タイトル候補が3つあるのですが、もしよろしければ1つあなたの心に響くものを選んでもらえますか?あるいは、別のタイトルがよければ、シェアしてくださいますか?

「地球とつながって生きる」
「地球とハートでつながる」
「地球とハート でつながって生きる」

レス頂けると嬉しいです。

ありがとうございます。
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あとがきにかえて

2019年は、コネクション・プラクティスで幕開けしました。

ちょうど20年前の1999年、Y2K WASHWorld Atomic Safety Holiday(コンピュータ2000年問題「世界原子力安全休暇」)キャンペーンの時に出会った坂口せつ子さん(せっちゃん)が、私に「コネクション・プラクティスを習いたい」と言ってきたからです。

せっちゃんは私が離婚で一番辛かった時期に、心からのサポートを惜しみなくしてくれた友人です。「もし私が子どもたちを残して死んでしまったら、せっちゃんに育てて欲しい」と託していた仲でした。

ベリーダンサーの彼女がコネプラに興味を持ってくれる確信はなかったのですが、彼女が学びたいと言ってくれた時は、本当に嬉しかった。せっちゃんのためなら、たった一人でも講座を開催する用意がありました。

しかし、その時すでに私の来日中の予定はびっしりで、唯一体が空いている日は大晦日と元旦と翌日の3日間しかありません。普通だったらありえない非常識な日程で、コネプラ基礎コース1と2を彼女のダンススタジオで開催しました。玄さんの生徒さん二人も参加し、ラスール(コネプラ認定講師)2名に受講生3名という中身の濃いコースとなりました。

コネプラを教えながらの年越しは、最高でした。

コースの最中に何度もコヒーランスをグループでやるので、コヒーランスのパワーが継続し、ずっとハートにつながっている状態が続きました。

大切な人に、自分が一番大切にしているものを伝えられるーー。
生きていて、これに勝る喜びはありません。
しかも、温泉宿に滞在し、美味しいものを毎日食べながら。

翌日1月3日の早朝には、高崎から奈良に移動して「安穏庵(岩渕恵子さんの新宅)」で行われたマスターラスール合宿に参加、続いて京都の関西セミナーハウスでの第6回の認定コースでアセッサー、とコネプラ三昧の日々が続きました。第6回目は6人のラスール候補生が認定トレーナーになるべく挑戦をしました。

真剣なアセスメントをしながらも、泣いたり笑ったり。感動とユーモア、そして、繋がりと学びと成長と貢献が満たされる4日間でした。

こんなに感動して泣いて、お腹が筋肉痛になるほど笑う認定コースって、他にあるだろうか?

私の生涯を振り返っても、うれし涙がこれほど流れる日々はかつてありません。

2018年12月22日の広島グローバルピースコヒーランスに始まった日本滞在は、コネプラの学びと教えと、それを提供するラスールジャパンの運営やトレーニングチームの会議に終始しました。

全ての予定を無事終えてハワイに戻り、クリスマスとお正月を一緒に過ごせなかった子どもたちに再会しました。子どもたちは私の一番大切な宝物ですが、彼らにコネプラがどこまで伝わっているかは疑問です(RFIのファミリーキャンプでパート2まで習っています)。

私が肉体を離れるまでには、我が子にもコネプラの価値を受け取って欲しいと願っています。

(つづく)

続きは、本を読んでくださいね。
出版社は八月書館。