この間、カリフォルニアで開催されたNVCのLP(非暴力コミュニケーションのリーダーシッププログラム)に参加した時に、長年NVCを通して付き合いのある日本人達と再会しました。
普段、顔を合わせても、そのテーマの(NVCならNVCの)話しかしないことが多いので、彼らにとって私の本業は謎だったようです。「一体、ゆみたちはどうやって物価の高いハワイで暮らしているの?なぜそれが可能なのか?」、と。
私が環境や平和を守る活動をしてきたことを知っている人は多いですが、それらは収入源ではなくて、自分のリソース(時間や資金や能力)使う対象です。ハワイに移住してから日本でやってきた活動は続けてないですが、今は「ふくしまキッズハワイ」をボランティアでやっていますので、かなりのリソースを割いています。
それで、彼らに私が何で収入を得ているのかを伝えたところ、理解や安心のニーズが満たされて、「そうか、そうだったのか〜」と納得し、安堵の表情を浮かべたのです。それは私にとってもびっくりした新鮮な体験でした。
というわけで、今日のテーマは、私の生き方とそれを可能にしている仕事(収入源)のこと。
生まれて初めて報酬をもらった仕事は、知人の経営するバーのエレクトーン奏者です。ハワイアンバンドをやっていた父親譲りで幼少期から音楽は大好きで、「ミュージシャン」で仕事デビューしたのは14歳(中学2年生)の時です。もう40年も昔のことです!
高校生になるとお茶ノ水の名曲喫茶(クラシックが好きで、働きながらずっとクラシックの名曲が聴けるこの職場は楽しくて勉強になった〜)のウエイトレス、大学生になると家庭教師とビジネスショーのコンパニオンや雑誌モデルやキャンパスライターなど複数の仕事を掛け持ち、会社勤め時代は記事を書いて副収入を得ていました。
何をやっても「まあまあ」(これという突出した才能がない…)で、興味が多岐に渡っているので、成人してからは常に複数の仕事で収入を得ています。自分自身や子どもたちの学びと成長には投資しますが、それ以外ではあまり「消費」はしないので、残ったお金は貯めて一定の金額になると、私たちの必要性と価値に合うものに「投資」するようにしています。
最近は、ハワイに移住したい人たちのために為替や不動産投資のコンサル業もしていますね。必要があって始めたことは、日米を行き来するたびにドルと円の両替を頻繁にするので、FX投資(20代後半は米銀で債券トレーダーをしていた)て為替リスクを防いでいます。債券トレーダー時代はチャーティスト(経済ファンダメンタルよりチャートの値動きで相場を読む人)だったので、今でもマーケットのチャートを読み解くのは面白いです。私の価値に合う仕事では、古い家をリフォームして再販売する不動産投資業もやっています。
古い家の改築への情熱は、日本の鴨川時代に始まりました。築200年の廃屋を自分たちで手を入れて10年かけて住みやすい家にしました。
今、住んでいるハワイの家も一ドル80円の円高の時(ハワイ移住した2011年がたまたまそうだった偶然の幸運)に古い家を入手し、改装と改築を重ねて住みやすく美しい家にしている最中です。日本でもアメリカでも最大のゴミは建築廃材と聞いたので、ゴミ減量に貢献できて、自分の美的センス(好み、のこと)も表現できる古家のリフォームとインテリアデザイン(古い家具を修理して美しくするのも好き)、再販売、賃貸業などは収益が大きく、ハワイに移住したい日本人(かなり多い)にも貢献できるので、これからさらに増えそうな仕事です。
可能な限りモノは捨てずに生かし、壊れたら直して使う私の在り方が、ここにも生かされています。
その他、日々の暮らしを支える収入源は20代から続けている著作業(本を書くことが主ですが、記事も書きます)と翻訳出版業、通訳(会議通訳者がハワイ島はあまりいないので、これも増えているし高収入)、講演(日本にいた時はこれが主な収入でした)、健康コンサルタント(瓜生良介先生の快医学に基づく健康相談や指導)と関連リトリートの企画・運営・開催、ローフード料理教室とケータリング、NVCやコネクションプラクティスのトレーナー業も最近では大きな柱で、稀に演奏を頼まれて収入があることも(フルーティストです)!
60歳になったらダンサーとしても収入が得られるよう、修行中です(これは冗談!)。
冗談はさておき、今、一番やりがいがある仕事は、子どもたち(次世代)に「コネクション・プラクティス」を伝えること。なので、日本語と英語が通じる世界どこへでも出かけて、コネプラを教えるトレーナー(のことを、Rasurと言います)養成に力を入れています。この仕事は、旅好き&人好きの私にはぴったりです。
日本で定職についている方の多くは、収入源が一つの人が多いですよね。自分の才能を開花させて、好きなことをやって多くの人に喜ばれ(スポーツ選手やアーティスト、最近では小学生の憧れ職の「Youtuber」なども面白い)きっちりと生計を立てている人を尊敬します。
と同時に、私のようにどれか一つに飛び抜けた才能があるわけではもなく、興味が多岐に渡る場合は、一つの仕事だけでは物足りなくなるとも思います。私の場合、家と同じように柱が4本以上あるので、1本が芳しくなくても他から収入を得ればいいと思えるので精神的にも楽で、経済的にも実際、安定しています。私は今、8本柱程度の細い柱がありますが、もう少し安定した太い柱にしていくのが課題です。
さて、3月21日から個人健康相談(遠隔、ZOOMでやりますので、お住まいを問いません)を受け付けます。私と玄さんのLET(ライフエネルギーテスト)に対する依頼が日本からも増え、ご好評をいただいていますので、興味のある方はこちらからお申し込みをしてください。
4年ほど前、知人の女性研究者に連れられて、琵琶湖周辺を歩いたことがある。
本庄という琵琶湖東岸の集落では、集落中に張りめぐらされた水路を案内してもらった。一見しただけではよく分からないのだが、この集落には3つの系統の水路があって、それぞれ自主管理されている。集落の責任者が水門の開け閉めを担当し、年に何回かの泥さらいは全員で行う。そうしたことを長く続けてきた。そんなことを、知人の研究者に教えてもらいながら、僕は歩いた。
知内(ちない)という古い集落の宿では、自治会の人の案内で、集落の文書が眠る小さな倉庫を見せてもらった。250年の間、集落の人たちが記録してきた文書がぎっしり置かれている。村の文書がこんなふうに村人たちによってちゃんと保管されているのを僕は初めて見た。250年の間、ほぼ毎日、集落の長は、村の日記を書き続けた。知人の研究者たちは、それを掘り起こし、村の人びとが長い歴史の間に直面したさまざまな問題を解き明かそうとしている。
びっくりするのは、琵琶湖周辺のこうした集落を、その研究者はほとんど回っていることだ。あそこの集落はどう、あそこの誰はどう、と実によく知っている。一緒に回っている間にも、彼女はいろいろな人を訪れ、その皆が、彼女を親しげに迎えていた。
ただ訪れて話を聞くだけでなく、住民たちの活動を応援し、鼓舞してきた。長く琵琶湖博物館という博物館の学芸員だった彼女は、琵琶湖周辺の住民たちといっしょにホタル調査にたずさわったこともあった。調査する中で、水が汚れているからいるはずないと思っていたホタルが、実は案外いることを、住民たち自身が発見していった。きれいな水より少し汚れた水をホタルは好むこともわかった。地域の宝を発見することで、地域に愛着を持つ。そうした発見とまちづくり活動を、彼女は住民とともに楽しんだ(この調査は『みんなでホタルダス――琵琶湖地域のホタルと身近な水環境調査』として出版されている)。住民たち自身が調査することの意義を彼女は実践的に証明していった。
この知人の研究者の名前は、嘉田由紀子さん。先日、彼女は滋賀県知事になった。
さっぽろ自由学校「遊」『ゆうひろば』100号(2005年8月号)
ーーーー転載ここまで。
私も中米ベリーズで熱帯林の保護活動をしたり、日本ではビーチクリーンアップ・キャンペーン(JEAN)などをしてきた人間なので、フィールドワークをしている人はより信頼しやすいです。
日本のマスコミは「日本未来の党」について、あまり好意的には報道していないと聞いていますが、ここが躍進することが日本が一番よくなると私は思いますよ。地震国で原発を続けようという人は、信頼できません。ましてやリーダーには不向きです(福島の人々、子どもたち、原発労働者が置かれている現状、苦しみを知らなすぎ)。
脱原発を求めるあなた、TPPや増税に反対するあなたも、この選挙がチャンスです。
12月16日に向けて、結集しましょう!
泣いても笑ってもたった2週間ちょっとの短期決戦。
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