沖縄の友人で、平和活動の大先輩であり同志でもあった金城睦さんが10月9日に亡くなりました。77歳でした。告別式は明日(10月13日)です。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=86145&f=t
奥さんの久美子さんとは同性代なので、私たち夫婦や子どもたちも含めて、家族ぐるみで仲良くさせていただいていました。喉頭癌を患い晩年は会話ができなくなっていたので、おしゃべりが大好きな睦さんにとってはとても辛かっただろうと思います。
今は肉体の痛みから解放されて、自由に空を羽ばたいているでしょうか。
私が睦さんから最初に教わったのが「いちゃりばちょーでー」という沖縄の言葉でした。「一度会えばみな兄弟のようなもの」と教わりましたが、金城睦さんは本当にいろいろな人を分け隔てなく自宅に招き、人と人をつなげていました。人が出会うこと、そして仲良くなることが「平和」の基本であり、睦さんの平和創造の実践だったのでしょう。
ご自宅のマンションがある2階には「いちゃりばちょーでーセンター」があり、そこでは久美子さんが歌のレッスンをしたり、平和活動の仲間がイベントや、食事&飲み会をしたりしました。私たちも何度も足を運び、お料理をさせていただき、いろんな方と泡盛やビールも飲みました。
子どもたちが小さい頃は冬場は学校を休ませて、沖縄で冬を過ごした時期もありました。そのときも金城夫妻にお世話になり、マンションの1室をお借りしていました。辺野古に行くにも、ヤンバルのヘリパッド基地に行くにも、拠点は首里の金城さんのマンションでした。まるで家族のようにしていただきました。
父を早く亡くした私にとって、睦さんは父親か兄のような頼れる存在でした。
睦さんが沖縄からいなくなってしまったら、私は沖縄で何を頼りにして良いのか、途方に暮れてしまいます。
「いちゃりばちょーでー」を「行逢りば 兄弟」と書くことを今回初めて調べて知りました。「出逢う人は兄弟のようになる」という意味は知っていましたが、こう書くからそういう意味だったんですね。
最近の日本は、睦さんや私が望んでいる方向とはまったく逆の方向に全力疾走しています。集団的自衛権の容認、原発の再稼働、TPP参加など、きっと睦さんが元気だったら反対運動の先頭に立っていたことでしょう。
睦さんならきっと空の上でも平和運動を続けるのでしょうか。
私は今はハワイの地で、原発事故の影響を受けている福島の子どもたちを、一人でも多く保養しようと「ふくしまキッズハワイ」を立ち上げフル回転中なので、他のことには手が回りません。
きっと睦さんだったら、私の力量ではとてもやりきれないこの取り組みを、心から応援してくれただろうと思います。戦争でも原発事故でも貧困でも、一番影響が大きく、苦しむのは子どもたちです。だからなんとかしたい。
睦さん、あちらの世界で一段落しましたら、どうか私たちを空から応援してくださいね。
これからも私の心の中で生き続け、私が迷ったり、落ち込んだりしたときに、大丈夫だよ、と励ましてください。
長い間、本当にありがとうございました。
ご冥福を祈ります。
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