2005/10/31

♪きくちゆみの地球平和ニュースまもなく創刊 ♪ - 9分02秒 - 2.1MB

PodCast GIF

ロンドンから戻って平和省のことばかり考えていたら、夢にまで出てきてJUMPという名前を授かりました。夢によれば、それはJapan United for a Ministry of Peaceという意味らしい。そろそろそういう運動を日本で立ち上げろ、ということなのでしょうか。

まだ、どのように平和省を創設するのか、見当がつきませんが、とりあえず興味のある人を募り、アメリカの平和省運動と同じように、草の根直接民主主義ーすなわち、それぞれの地域(都道府県)の人々が結集して、その地域選出の国会議員に働きかけて、実現するーの王道を一歩一歩進むようなやり方がいいかな、とイメージしています。

平和省のことはこれから、「きくちゆみの地球平和ニュース」で書いていきますので、まだの方はぜひご登録ください。
http://globalpeace.jp/#webmag

国際評論家の小野寺さんという方が、私のメルマガ創刊のことを、いち早くとりあげてくれました。面識はないのですが、辛口の鋭い批評をなさる人なので、こんな風に紹介されると、ちょっとびっくりしました(もちろん、うれしいです)。
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国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン
http://www.mag2.com/m/0000154606.html
わかりやすい!面白い!得をする!政治経済の裏にある
「あなたが絶対に知らない」ような情報を発信します。
このマガジンを読むと政治経済の謎が解けるでしょう。
独創的な情報分析マガジンです。
過去記事http://blog.mag2.com/m/log/0000154606

911ボーイングを探せ: http://www.wa3w.com/911(ものすごいDVDとビデオ)

きくちゆみさんという、情報のエキスパートの環境活動家の人の
メールマガジンが創刊されたそうなので紹介します。
この人の情報収集能力や、的確な判断能力はすごいと思います。
「戦争中毒」という本は、すごいし
圧巻は、有名な、『911ボーイングを捜せ』という映像ビデオです。
うまくいけば、彼女の講演で、「911ボーイングを捜せ」は、上映している
ので観ることができるでしょう。初めて観た人は、「いかに自分はマスコミ
にだまされてきているか。虚偽を信じ込まされていたのか」を悟ると思います。
(後略)
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11月1日創刊予定(あ、もう今日だ)なので、よろしくお願いします。Open Japan Boomerangのほうは、バウさんのテンポで、バウさんの情報(とても大切な未来のことです)をゆっくり配信していきますので、そちらも継続してお読みくださいね。

今日のポッドキャストでは、私のコンピュータのサポートをしてくれているDamien Andrewsさんが初登場。彼は食べ物の大切さ、食べ物と環境や平和のこと、アメリカで話題の映画『スーパーサイズ・ミー』について話してくれました。この映画ご覧になりました?マクドナルドを1日3色食べ続けた人がどうなっていったかを克明に描いた作品ですが、皮肉にもアメリカの映画館の殆ど(日本もそうかも)にはファーストフード店が併設されています。いったい、どれぐらいの映画館がこの作品を上映できたのでしょうね。

食べ物と健康のことを調べている私の友人が、ベジタリアンの人と肉食の人の平均寿命について教えてくれました。完全ベジタリアンだと肉食の人より14年長生きするそうです。肉は食べないけど、魚や卵や乳製品などは食べるベジタリアンだと7年。私はこれだ。そんなにはっきり出るとは、ちょっと意外。原典がどこにあるのか、何の統計なのかちゃんと聞かなかったので、もう少し調べてみます。

それよりも恐ろしかったのは、福岡の養豚農家のおはなし。コンビニで廃棄されたお弁当やおにぎりをえさにしていたら、子豚が死んだり、奇形や病気になってしまって大損害を被った、という西日本新聞の記事。

食卓の向こう側・第2部「命」つなぐために

コンビニ弁当などは時間で捨てられますが、腐っている訳ではないので、もったいない、えさ代を節約しよう、ということでやったらしいのです。豚と人間は同じではないでしょうが、毎食コンビニ弁当という人はちょっと考えた方がいいかもしれないですね。

今しがた、東京平和映画祭のミーティングから夜中過ぎに戻ったら、5歳の娘が布団の中でしくしく泣いていました。おかあさんがいないから、ということ。金曜日、土曜日、日曜日、そして月曜日と続けて4日、講演と会議で外出が続きました。まだまだ子どもたちは小さいのでもっと一緒にいたいし、寂しい思いはさせたくありません。抱きしめて、「ごめんね、ごめんね、でもどんなに遅くなっても必ず帰ってくるからね」と伝えます。と、安心したようにすーっと眠りました。今私がやっている仕事(講演など)は、子どもの未来がかかっているので、やめることはできません。究極の選択はやはり、大変だけどなるべく子どもたちを連れて行こう、と思い直しました。

そんな私のことをある漫画家夫婦が、こんな風に描いてくれました。
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白六郎です。
かみさんが、きくちさんをテーマにしたエッセイを書きました。
私がカットを描く、夫婦合作のページです。↓

http://aerowm.org/gender/gender20051023.htm

似顔絵という意識はないので、似ていません。
あしからず〜(^_^;)
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こんなに若くないし、足も長くないから、似てないですー。でもすごくよく私のことを理解してくれて、とてもうれしい。

2005/10/25

ホピ、イロコイ、キノコ採り&脱穀

10月21日、ロンドンから成田に戻ったその足で、喜納昌吉さんの主催したシンポジウムにいってきました。星川淳さんやベンジャミン・フルフォードさんや保坂展人さんとご一緒に、沖縄、アイヌ、イロコイとホピの人々と輪を囲んで、平和や憲法9条について語り合いました。一人の発言はほんの数分間だったので、私はロンドンの第1回国際平和省会議の報告だけをしました。一番うれしかったのは、現役の国会議員である喜納昌吉さんと保坂展人さんのお二人が平和省のアイデアに賛同してくれたことです。

鉄は熱いうちに打て。今週中には文書をつくって、平和省をつくる超党派議員の会を小さく形にしよう!そうそう、ベンジャミンさんが中丸薫さんと一緒に書いた本はちょうどロンドンへ行く途中で読んだけど、とても面白かった。『泥棒国家日本と闇の権力構造』というタイトルで、徳間書店から。まだの方はぜひ。『911ボーイングを捜せ』についても、かなり詳しく触れています。ベンジャミンは日本人より日本を愛しているかもしれないカナダ人。

シンポを無事終わってやっと帰宅。子どもたちは淋しかったせいか、二人とも私の上に乗っかってきて眠りました。一番下の子は普段しないおねしょまで!やっぱり、子どもなりにおかあさんがいないことは、ストレスになっているのかな。これからは、なるべく家にいるからね。そして一緒にどこへでも連れて行くからね(静かにできるのなら、それこそどこへでも連れていくのだけど)。

さて、翌日はなんと益岡賢さんとステファニーさんが遊びにきてくれました。前から遊びにくる、といっていたのだけど、超多忙な人でなかなか実現しなかったのが、やっと実現。私がこの日しかあいていないからぜひ、と半ば強制的に来てもらいました。実は彼は知る人ぞ知る、キノコ博士。私が彼に俄然興味を持つようになったのも、初めてお会いしたときに、珍しいキノコ(彼が採取し乾燥したもの)をもらい、その料理のレシピ(ビシソワーズに細かく砕いて入れる)通りにつくってみたところ、とてもおいしかったのがきっかけ。私はとても食いしん坊なので。

もちろん、翻訳家としての彼の仕事は素晴らしく、彼の訳したアメリカの外交政策を批判した本(ウィリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』とか)は殆ど読んでいます。最近の作品では『ピーク・オイル』は必読です。ためになるのはもちろん、読み物としても面白かった。この本は、丸の内のビジネスマンが結構読んでいるらしい。それはいいこと。

で、今晩は彼が採ってくれたカラカサタケ?とかいうキノコを料理します。毒キノコじゃないよね、博士。(もしこれで私たちが具合悪くなったら、犯人は益岡さんです)。キノコは奥が深くて、一度教わったぐらいじゃ、毒キノコと食用キノコの見分けがつきません。xxモドキとか、本当にそっくりさんがたくさんあるのです。だから、私たちは自然のキノコには手を出しません。我が家では椎茸を栽培しているので、食べるのはそれだけ。

二日続けて晴れたので、昼間はロンドンへ行く前に刈った稲を脱穀しました。ちょうど平和の旅人・アコちゃんが戻ってきてくれて、手伝ってくれました。すごーくお天気がよくて気持ちよかった。今年は5枚の棚田のうち、2枚が土砂崩れで埋まってしまったので、収穫量は減って3俵弱。それでも大切に食べれば、また1年間私たち家族のいのちをつないでくれます。あ、元気な子どもたちが帰ってきました。今日は搗きたての新米を炊こう!!ここで田植えや稲刈りを手伝ってくれた方は、新米をごちそうしますので、連絡をくださいね。

2005/10/20

第1回国際平和省会議(ピープルズ・サミット)

メールで流したものをブログにもアップします。ちょっと長いけど読んでください。

Ministry for Peace

2005年10月18日(月)

ロンドンの朝は暗い。5時半に目が覚めたので、メールをチェッ クして早めの朝食を済ます。8時にホテルを出て会場の1 Birdcage
Walkに向かう。政府関係の建物が密集する地区だ。8時半には到着し9 時始まりの会議に一番のり。11カ国から40名弱が参加している。 ヨーロッパからは英国、オランダ、イタリア、スペイン、中東からイス ラエル、パレスチナ、ヨルダン、北米からアメリカ、カナダ、オセアニ アからオーストラリア、アジアから日本。日本からは私と佐々木良夫。

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第1回国際平和省会議(2005年10月18-10日、ロンドン)の11カ国からの参加者
前列中央がジョン・マクドネル英国議員

参加者全員に配られた会議資料の中には、各国のペーパーに混じって日 本国憲法前文と第9条の英文がちゃんと入っていた。(うれしい!)

イギリスの平和省の推進者である英国議会のジョン・マクドネル議員の 挨拶で会が始まる。会の進行はトランセンド(日本でも活動している) のカイ・ジェイコブソン。まもなく、これは会議というよりは、全員参 加型のワークショップであることに気付く。

カイが「この会議の基本ルールは、互いをサポートすることで、私たち はそのために集まっている」と一人一人に目を合わせながら伝える。平 和を実現しようとする者として最低に守るこルールを確認。具体的には:
1、誰かが話しているときは、他の人は傾聴する。
2、みんなの時間を大事にするため時間を厳守する。
3、会議費用は寄付で賄っているので余裕がある人は寄付をする。

会を進める前に戦争や暴力によって影響を受けた(殺されたり、心身を 傷つけられたり、家や仕事を奪われたりした)人たちのために黙想をす る。その静けさの中で、最初の質問がされる。

「なぜあなたはここに来たのか」。

一人2〜3分以内に自己紹介を兼ねて、なぜこの会議に参加しているか を語る。紛争地域の人や、戦争経験者は戦争では何も解決しないどころ か問題を悪化させているから、という理由が多い。私は911事件以降 やってきたことをざっと話し、クシニッチに出会い「平和省」という考 えに触発されたこと、平和憲法のある日本にこそ平和省がふさわしいと 思うにいたったこと、世界各地で平和のために働いている人たちと友だ ちになりたいことの3つのを理由にあげ、ともかく戦争を過去のものに したいのだ、と結ぶ。40人がそれぞれの思いを語ると、あっという間 に時間が過ぎ、最初のコーヒーブレーク。

おいしいクッキーとコーヒー、紅茶の休憩で参加者同士のおしゃべりが 盛り上がる。ブレイクのあとは、平和省の運動の先駆者からの報告を聞 く。

1、米国 発表者:ドット・メイバー、マイク・アトキン(ピースアラ イアンス)
先月、全米の40州から500人を集めた平和省会議を大成功させた。 平和省設立法案HR3760(S1756)はすでに米国議会に提出済みで、 この法案を支持する議員も草の根ロビイングによって増えている。ブッ シュ政権下での可決は難しいが、アメリカ市民の過半数が支持するよう な運動になることで実現を目指す。50州のうち、49州ですでに州の コーディネーターが活動しているアメリカは、この運動の先駆者。平和 に投資するという考えを広める。暴力と戦争の現実を変えるには、何を 買い、どこに投資するかのすべてにおいて、平和を優先させることが重 要。

2、カナダ 発表者:ソウル・アーベス、ペニー・ジェイ(平和省ワー キンググループ)
来年の6月21−22日にはビクトリアでの第2回国際平和省会議が決 まり、この準備をする過程で運動が加速するのを期待。法案はすでにで きているが、まだ議会には提出されていない。ロイヤルローズ大学が強 力なサポーターになっていおり、大都市バンクーバーと首都のオタワに 事務局ができた。

3、イギリス 発表者:ダイアナ・バスターフィールド、エリザベス・ ドウス(英国平和省)
アメリカの動きに触発された地方議員だったダイアナがこの運動を始 め、労働党左派のマクドネル議員を動かして、法案の提出にこぎつけ、 平和マニフェストも発表した。まだ草の根レベルでの認知はされていな いので、これからどうやって広げていくかが課題。平和はトップダウン では根付かない。あくまでボトムアップ。草の根の支持があって初めて 実現する。

All Members JPG

古い友人ジョー・ベリーも平和省運動に参加していて、驚きの再会。彼女の父親は英国議員でIRAのテロで殺害されたが、彼女は犯人と共に「平和の架け橋」という運動を立ち上げた本当の勇気と愛のある女性。

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昼食を近くのカフェで過ごした後、午後2時からは平和省のシミュレー ション。平和省が設立され1年がたったと仮定。この間に成し遂げたこ とを小グループに別れて議論する。平和省が政府の他の省(教育、防 衛、財務、環境、福祉)にどんな影響を与えたかをグループごとに発 表。このワークにより、平和省の役割やなし得ることが見えてくる。

平和省は他の省の仕事を奪うのではない。関連する省(国防、社会福 祉、教育、財務、環境、法務、自治など)の仕事を調整し、より平和的 な手法を取り入れさせたり、非暴力の原則をアドバイスしたり、平和を 実現した成功例を個人、グループ、コミュニティー、国、国際紛争レベ ルで調査し、サポートし、関係する省に情報提供する。

思えば、かつて環境省はなかった。今はどの国でもある。平和省も実現 する時がきている。戦争よりもより良い解決法、より効果的でコストも 少なくてすむオルターナティブがあることを、政府の決定に反映させる のが、平和省の仕事だ。とくに、問題解決に武力をすぐに使いがちな米 国では、平和省の実現は重要だ。

午後のコーヒーブレイクのあとの最後の課題は、平和省が実際どのよう に機能するかを、平和教育、コミュニティの争い(問題)、メディア、 国際紛争のテーマで、それぞれ興味のあるテーブルについて小グループ 議論し、具体的提案を発表する。

最後の課題は、これまで体験したキャンペーンで、うまくいった例の共 有。平和省の運動に限らない。これは発表する時間がなくなり、各自へ の宿題とされる。明日の朝、箇条書きにして提出することに。

予定の時間をややすぎて、6時に会議が終了。首相官邸(ダウニングス トリート)や女王のバッキンガム宮殿などを見物しながらし、全員一緒 に夕食をするために予約したイタリアレストランへ歩いて向かう。イギ リスは食事が高くてまずい、ともっぱらの評判だが、ここはなかなかお いしかった(値段も高かった)。40分以上歩いて、おなかが空いてい たせいかもしれない。

夕食が終わると、アメリカのネットラジオ(PodCast)に会議の報告をすることが急に決まる。平和省の運動が国際的な動きになってきて いることを、アメリカ市民にアピールするためだ。各国から一人ずつ、 簡単な報告を公衆電話から国際電話でする。小雨の中、公衆電話の周り に世界各地から集まった20代から80代までの老若男女が列をつくっ て、盛り上がっている様子が、おかしくてたまらなかった。

こうして、長い一日は笑いの中で終わった。(明日に続く)
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2005年10月19日(水曜日)

平和省会議2日目は昨日と同じ建物のもう少し広い部屋で全員でコの字型になって会議を進める。会場のセッティングを変えるだけで雰囲気ががらりと変わり、ちょっと緊張する。少人数でテーブルを囲む昨日のセッティングのほうが、気楽だ。

午前中はまずどうやって国際ネットワークを作るか、という課題。ホームページ、メーリングリスト、ニュースレターの作成などの具体的なことから、国際ネットワークがあることのメリットとデメリットまで、意見を出し合う。会議が終わるまでに、誰が何をやるかを決められるのだろうか。そして、この会議の宣言文をまとめて、英国議会に提出できるのだろうか。40人一緒の会議進行は、なかなか大変だ。

日本ではピースボートがイニシアティブをとっている紛争解決NGOの国際GPPACの創始者のポールが、国際組織を作る際に気をつけるべきことについてアドバイスする。彼のアドバイスに留意しながら、今回の会議の最大の目標に着手する。なんらかの平和省の国際組織の構築と、今日の夜までに採択する宣言文の起草だ。

国際組織(名前は何であれ)をつくることには参加者全員がすぐ同意したが、名前を決めたり、全員で宣言文を練るのは難しい。結局、全員での作業はあきらめ、4人のドラフト委員会を作り、プロのライターを中心に専念してもらい、その後で採択することにする。

その間残ったメンバーは、第2回サミット(2006年6月20−21日、ビクトリア、カナダ)、平和省ができうるすき間の仕事、パートナーさがし、決定プロセス、資金集めなどの課題が与えられ、自分の興味のある課題ごとに小グループになり、討論し、発表する。私は第2回サミットを選び、資金集めについてとメディア対応について提案したところ、合意される。

昼食後、ドラフトグループが戻ってきて、みんなにたたき台を渡す。全員でもう一度文言を確認しながら、最後にはこんな宣言文になった。
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第1回平和省ピープルサミット      2005年10月19日/ロンドン
(訳:きくちゆみ *なので誤訳に注意!)

今日ここに、私たちは平和省を世界中の政府の中に創設する国際的イニシアティブを発表する。あらゆる種類の暴力が増えている。これまで、そして現在行われている平和構築の成功例をさらに広げながら、責任ある解決法を見つける緊急なニーズがある。

この国際的イニシアティブは、すでに存在している国レベルの平和省キャンペーンのためにリソースとサポートを提供し、同時に他の国で同様の動きが出てきたらそれを支援する。

平和省の役割は国ごとに違うが、基本的な機能は同じであろう。
1、平和的文化を育てること
2、すべてのレベルの紛争に対する非暴力的解決方法を調査し、明確化し、実行するのを助ける
3、あらゆる人々に平和構築と紛争の変容のトレーニングをするためのリソースを提供する

下記に署名した私たちは、平和の文化へと向かう私たちの旅において、互いをサポートし勇気づけ合うこと、情報を共有し、互いの経験をより豊かにすること、互いに傾聴しあい、私たちの共通性と違いを祝福することを喜んで誓う。

すでに平和省のキャンペーンがあるグループ:
オーストラリア(平和省)、カナダ(平和省のためのワーキンググループ)
イギリス(平和と紛争解決省)、アメリカ(ピースアライアンス)

サポートグループと個人:イスラエル代表団、ビニ・デリ(イタリア)、ダマフール連盟(イタリア)、きくちゆみ/佐々木良夫(グローバルピースキャンペーン、日本)、アンク・メスリテ(平和の家、オランダ)、ポール・バントンゲレン(ヨーロッパ紛争解決センター、オランダ)、ゾグビ・ゾグビ(パレスチナ紛争解決センター)、ルーマニア平和省イニシアティブ、ジョー・ベリー(平和の架け橋、イギリス)、ロルフ・キャリエ、シモネッタ・ピッタルガ
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無事、宣言文が全員一致で採択されると、この会議のオーガナイザーのダイアンさんに感謝の花束を贈る。こんなことを予測してなかったダイアンは涙、涙。

Big Ben JPG

会議室を後にして、雨にぬれながら英国議事堂に向かう。ここでイギリス市民向けに平和省会議の成果を発表することに。よく絵はがきになっている有名なビッグベンがある建物だ。中に入る警備は厳重で、議事堂の外に作られた二つのセキュリティチェックのために雨の中、長い列を並ぶ。

無事中に入ると、さすがに古い歴史のある建物で、興味深い。議事堂の中の会議室を使うには国会議員と一緒でないと中に入れないので、みんなでジョン・マクドネル議員の到着を待つ。このあたりも日本と似ている。

グランドコミティールーム(大委員会室?)は一般市民で満員だった。マクドネル議員から議会での平和省法案の進捗状況の説明の後、ダイアンが2日間の第1回国際平和省会議の報告を始める。本当ならロンドンに来ることになっていたクシニッチ議員のメッセージビデオを流す。米国議会の会期延長でこられなくなったのだ。続いて、マリアン・ウィリアムソンからのメッセージビデオを見る。さすがにこの運動のリーダーだけあって、話しを聞くだけで勇気づけられる。

Marianne Williamson JPG

第3回全米平和省会議ですばらしい進行役を務めたマリアン・ウィリアムソン。いつか彼女も日本に呼びたい。

議事堂では11カ国の参加国のうち、アメリカ、カナダ、オーストラリア、日本が報告することに。最後に私の番がまわってくる。まず、911以降、グローバルピースキャンペーンをどうして始めたのかを話す(実は、そのときロンドンに別れた子どもたちがいたからなのだ)。それから、クシニッチに出会い多いに触発され、誰も彼のことを知らない日本でクシニッチの本まで出したことを話すと、笑われる。そして今、日本政府は日米同盟を強化し、戦争のできる普通の国になるために憲法を変えようとしていることを伝える。憲法9条の条文を読み上げ、これは未来からの贈り物であり、人類が目指す理想であり、世界のすべての国が採択すべきものなのだ、と訴える。その瞬間、会場から大きな拍手がわき起こる。憲法9条を、これから平和省の運動を通して、世界の憲法にしよう!

Dennis & Walter JPG

アメリカで最も尊敬されているジャーナリストの一人、ウォルター・クロンカイトとデニスクシニッチ。クロンカイトの平和省賛同は、多くの人を勇気づけている。

私の発表が終わると、次々とイギリス人がやってきて、握手を求められた。同じ英語でもアメリカ英語とかなりアクセントが違うので、通じるかどうか心配だったが(例のごとく、ぶつけ本番のスピーチ)、どうやら通じたようで、ホッとする。

このスピーチにはおまけがついた。日本の憲法9条を守るために、何ができるかみんなが話し始めたのだ。そして、改定されるまえに日本で平和省の会議をもってはどうか、という提案がこの会議のファシリテーターのカイからされたのだ。来年の5月あたりにどうか、という話しがディーナーの席で盛り上がる。実現できたらどんなに素敵なことだろう。日本に帰ったら、さっそく9条の会を始め、興味をもってくれそうな人たちに相談してみよう。

Marianne & Yumi JPG

平和省運動の重要なリーダーで、ベストセラー作家のマリアン・ウィリアムソン

長い一日が終わって宿に戻ると、とっくに真夜中を過ぎている。図書室の私の席の隣ではアメリカチームがネットで報告を書いている。私の撮った写真もさっそくアメリカに送る。インターネットの時代の国際会議は、昔とは隔世の感だ。ありがたきこと。

明日、日本に戻ったら、成田空港から明治大学へ直行する。大学会館8階で夕方から行われるシンポジウムで、この会議のことを早速発表したい。イロコイ連邦、ホピのエルダーもやってくる。魂の兄の星川淳さんも一緒だ。東京近辺の方は、ぜひいらしてくださいね。たぶん、くたびれた顔をしていると思うけど、それは勘弁。

きくちゆみ@雨のロンドンにて

2005/10/18

ロンドンにつきました

久々のロンドン。上の二人の子どもたちがロンドンから日本に戻って以来、初めてです。直行便とはいえ、12時間のフライトは長かった。ヒースロー空港から町中へは乗り馴れた地下鉄で。宿はWarren Street駅の近くのインディアンYMCA。その名の通り、客の9割以上がインド人で、併設のレストランのメニューもインド料理のみ。1部屋二人まで泊まれて、1泊77ポンド(1万7千円ぐらい?)なので決して安くはないですが、ロンドン中心部で個室にシャワーとトイレがついて、食事付きですからこれぐらいで仕方ないのかもしれません。

国際平和省会議に参加している人たちは全員ここに滞在しているはずなのですが、まだ誰にも会っていません。会議は明日からですが、みんなどこにいるのでしょうか。私は2階の図書室にあるネット回線を使って、これを書いています。もう日本時間だと朝4時半。飛行機の中では眠れなかったので、あと2時間眠らずにいたら、昨日の朝から24時間連続して起きていることになります。でもこうすると、明日の朝には時差ぼけが治ってしまうのです。だからあと少しがんばって、起きていよう。今晩はぐっすり眠れることでしょう。

空港とホテルと会議場を往復するような旅だけは絶対したくない(私の好きな旅は行き先を決めない、いきあたりばったりの旅。時間の許す限り気の向くままあちこちを回る旅)、と思っていましたが、最近はそのパターンが増えました。子どもを家に追いてきているので、それも仕方ありません。会議が終わったら家にトンボ帰りします。それだけのものをつかんで、帰りたいです。

飛行機の中で読んだ米原万里さんの本にも、会議通訳者として空港ー飛行機ーホテルだけを往復する旅を嘆いている米原さんの体験談がでてきました。でもそれはちゃんとしたギャラをもらっている仕事の旅だから、まだまし。私のように全部自費で遠路はるばる国際会議にやってきて、一切観光もなにもせずに戻るのは、もったいなくってしかたありません。

2005/10/14

パキスタン、共謀罪、SOS

昨日から稲刈りです。今年は台風と大雨で5枚の棚田のうち、2枚が崩れて埋まってしまいました。それでも黄金に実ったお米は実に美しく、ありがたいものです。これが私たち家族のいのちをまた1年間、支えてくれます。

我が家の被害はこの程度ですみましたが、津波、地震、ハリケーンと、世界中では大災害が続いています。パキスタンの「オバハン」こと督永さんからの報告はすさまじいものです。で、明日(もう今日だ)写真家の森住卓さんが現地入りします。そのとき督永さんにお金を直接渡してもらう手はずを整えました。一番早く現地に届きます。現地の救援活動を支援したい方は、こちらへ:ハーモニクスライフセンター 00110−1−144224 通信欄に必ず「パキスタン大地震救援」と書いてください。

以下はパキスタンの督永さんからの報告です。
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 皆様お見舞いを有難う存じます。
 今朝も3時前から現地バラコットへ行き、たった今、ヘロヘロで帰って来ました。 初日からの睡眠時間がこたえてきたかな…という感じ。 バラコットでは谷間を挟んで広がっている街がほぼ全壊、4年前に見たアフガンの首都カーブルの崩壊とは質の違うショックを受けました。オバハンたちが昔、泊まった川沿いのホテルは影も形もない。ようやく軍隊が活動を開始しているものの、全般的に救援活動が 進んでいないので、崩壊した家々に埋まったままの遺体からただよう死臭が街全体をお おう凄じい状況。
 完全に崩壊した建物の下には遺体がそのままで、道路に面した場所では圧死した人の足が見えていたりもする。それが1ヶ所だけではないし、布をかぶされているとはいえ、遺体が道路や人々の肩に担がれ右往左往して芋の子を洗うようなバザール。しかし、しばらくすれば鼻がなれてしまうものの完全な死の街。
  被災者たちは地震による崩壊で受けた些細な打撲傷や裂傷は、地震後4日で化膿。手の付けられない状況になっている。僅かな裂傷が手の切断にもつながりかねない現状 に、オバハンたちは手の施しようもなく無力さと、むなしさのみを噛み締めました。医者と看護士がないかぎり、ささいな傷の手当てもままなりません。
 傷の多くは、打撲と骨折、裂傷が化膿したもの。完全ボランティアの医者や看護士が欲しい!!!

出来るだけ広く、お知り合いにも配信してご協力ください。
また、報道関係にお知り合いがある場合には、そちらへもご連絡を下さいますようお願い申し上げます。

パキスタン大地震支援
www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htm/

Pakistan JPG

トクナガ
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医者と看護士が日本から完全ボランティアで行くのもいいですが、現地で募集すれば同じ費用でより安く、言葉のわかる医者や看護士が派遣できるはずです。日本の一万円がパキスタンでは何倍もの価値になりますから、今は現金を送るのがいいと思います。古着を送るより、日本で古着を売って、そのお金を送る(そうすれば現地調達できる)、とかね。森住さんは、写真をとって現状を伝えるために、パキスタンへと向かっています。それぞれができることがあるはず。今動きましょう。私たちは助け合うために生まれてきている。戦争、殺し合いはもうたくさん。

さて、もう一つはミュージシャンの友人ZAKIさんから。共謀罪に反対の方もキョウボウザイって何?って方も、あさって10月16日、渋谷ハチ公前に午後1時集合!彼の熱い呼びかけに応えてください。共謀罪は一言で言うと、戦前の治安維持法のようなもの。
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ZAKIです。

共謀罪法案を成立させたくないので、 出来るだけのことをやります!
16日(日) 13:00時 飯を済ませて渋谷ハチ公前集合!

持ち物。 好きなメッセージを書いたプラカード
または自分ちのウチワに白紙の紙を両面に張ったもの。 
小泉のマスクや怖いマスク、可愛い仮装など、自分の仮装グッズ。 
音の出る鳴り物。

みんなで集まって楽しく、そしてワイワイ目立つ形でアピールしようというコンセプトで、色んなことをやっちゃおう、という形です。
(マスコミにも声をかけますので)

「共謀罪反対 仮装ストリートライブ&パフォーマンス」

ストリートゲリラ的に歌を歌ったり(歩きながら)、マイクで共謀罪コントとかをやりながら(もちろん真面目な話もOK)”仮装行列”で人の多いいくつかの駅前を練り歩く!
好きなメッセージを書いたプラカードを持ってきてください。
家にあるウチワの両面に、無地の白紙を貼り付けた物もいくつか持って来てください。
一つのウチワに1文字ずつ大きく、 共  謀  罪  反  対  と5枚で読めるように書いてみんなで掲げる!
駅を移動する電車の中でもウチワをかざして行く! とかもやりたい。

仮装はもうなんでも有りで、例えば、共謀罪と凶暴をかけて、仮装パーティーで使うようなゾンビとか怖いマスクや小泉のマスク
(凶暴なマスクの中に小泉!)をかぶってでも良いし、(これは顔を知られると恥ずかしい人にはぴったり!)仮装パーティーよろしく何に化けてもOKっ!!と同時に例えば、ミニーマウスとか可愛い仮装の人が、18日に提出する署名も集める!

何か片手に持てるデンデン太鼓とかきれいな音のする鳴り物も持って来て、目立つように鳴らしながら移動!
この行動を例えに、模擬的に「共謀」を視覚化できるコントを考えてしゃべるのも良し!

ストリートでの大事なポイントは、営業中のお店の前などに長居したり、通行の迷惑をかけないこと。
さっと移動できる体勢でやる。これストリートミュージシャンの基本です。

というわけで、ミュージシャンZAKIが広くみなさんに呼びかけますので、10月16日(日)、渋谷ハチ公前に午後1時、ごはんを食べてから集まってくれー!(あちこちに転送してください。)

平和活動のMLに限らず、共謀罪に反対している沢山のブログにコメントで声を掛け合い、アクションに参加する人達を募って行きます。17日(月)の盗聴法に反対する市民連絡会の院内集会
http://tochoho.jca.apc.org/index.html
などの集会に参加することも同時に呼び掛けて行きます。
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私は10月17日からロンドンで開催される第1回国際平和省会議に行きます。10月15日は我孫子市民会館で午後1時から、16日は新浦安のダイエー4階で午前11時から講演しています。このとき、パキスタン救援募金も集めますので、お近くの方はぜひ。

2005/10/05

こどもが突然病気をしたら?

先日、保育園から電話がかかってきて、娘が具合が悪いので迎えにきてほしい、ということでした。聞くと朝から3度も下痢をしたとのこと。下痢はその前の晩からはじまっていましたが、朝は元気なので送り出しました。

原因はわかりません。前の晩はホテルで外食をして、家族で同じものを食べているのに誰も下痢をしていないので、食べ物のせいではなさそうです。痛みも熱も無く、本人は元気なので、そのまま家にいて様子を見ます。

午後になっても下痢は続き、その度にトイレで娘と会話します。5歳です。
「おなかが大掃除をしているのよ。悪いものを食べると、こうやって急いで出してくれるの。体ってすごいね」
「じゃあ、出したらなおるの?」
「悪いものが全部出たらなおるよ。あんなちゃんの体は、自分で自分を治す力があるんだよ。すごいよね」
「うん。すごいね、あんな」
といいながら、おなかに私の手をあてます。すると気持ち良さそうにしています。おなかの痛みがあるときは、小型アイロンを低温にあたためて、靴下などを被せ、洋服の上からあててあげれば、痛みが和らぎます。(痛みが増すときは即やめる)

その日の夜には下痢は治まり、ごはんも普通に食べられるようになり、翌日は元気に保育園に行きました。

こんな風にして、こどもたちが病気をしたときは、いのちのしくみをわかりやすく教えています。それによって、こどもは体の異変を恐れることなく、その経過を冷静に体験し、自分の体の中にある「自然に治っていく力」に気づき、自信がついていきます。下痢や発熱などの体調の異変はうれしいことではありませんが、我が家ではとても大切なことをこどもに伝えることができるチャンスと捉えています。

解熱剤や下痢止めなどを使わなくても、体はちゃんと治っていきます。もちろん、経過をよく観察することと、適切な自然の手当をすることが大事で、症状が治まらないときには対処療法も必要になります。が、あくまでも病気を治すのは本人の免疫力であって、薬や手術はあくまでも症状を止めるためのものです。根本治療ではありません。そのことを親が知っていること、それを子どもに伝えることは、とても大切だと思います。
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さきほど、京都から戻る新幹線の中で読んだ本:『憲法を変えて戦争に行こう という世の中にしないための18人の発言』岩波書店 定価500円は、とてもよかったです。タイトルがいいよね。ハッとして。
*京都の憲法9条メッセージプロジェクトのイベントは、なかなか元気の出るものでした。各地のこういう取り組みがつながっていくといいですね。年齢はやや高めでした。