2007/11/21

明日から愛媛3カ所で連続講演/ホ・オポノポノ

今日は東洋大学の「地球倫理」という授業で学生さんたちを相手に自給暮らしをしながらわたしがしている平和や環境の活動についてお話をさせてもらいました。終わった後も結構質問が相次いで、うれしかったです。

東洋大学のJPG

東洋大学でお話


東洋大学のJPG

吉田先生と東洋大学の学生たちと


大学での講義のあとは、家に戻って片付けの(ガラクタを手放す)の続きをしようと試みたのですが、改築作業のための荷物や家具の移動もあって、ますます乱雑さが増している我が家です。

House JPG

新しいキッチンの断熱はわらで


こんな我が家をそのままにして、明日はまた愛媛へ飛びます。
なんと3カ所で続けて講演します。

愛媛が実家だという知人から、保守的な土地柄なので私の講演会が愛媛県内で3カ所も行われることに驚きのメールをいただきました。そういう時期がきたのかもしれませんね。

愛媛県とその近辺の方のために情報をアップします。

11月22日(木) 午後7〜9時 久万高原町久万町民館2Fホール
 平和のつくりかた 安心して子育てできる社会にしたい 
 おはなし:きくちゆみ
 主催:平和省プロジェクト愛媛

11月23日(金) 午後2〜4時 にぎたつ会館2階楓
 戦争のつくり方、平和の創り方 米9・11事件 隠された真実
 講演者:きくちゆみ  入場無料(どなたでも参加できます)
 主催:愛知県保険医協会

11月23日(金)午後7時〜9時 労働福祉会館3階大ホール
 戦争のつくり方、平和の創り方 米9・11事件 隠された真実
 講演者:きくちゆみ
 主催:にいはま憲法9条を守る市民の会 入場料:500円
 
そして、いよいよ11月24〜25日は「ホ・オポノポノのワークショップ」。(11月23日には無料のレクチャーが明治学園大学であります。お見逃しなく)

玄さんの人生を土台からゆるがしているように、わたしの価値観もぐらぐらきているホ・オポノポノ。何が起きるのか、いまからわくわくドキドキです。

以下に、玄さんが訳してくれたレン博士のインタビューをアップします。
このレン博士が自ら来日して教えてくれるのです。

長いので興味のある人だけ読んでくださいね。
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「100%の責任とホットファッジサンデーの約束」
イハレアカラ・ヒュー・レン博士のインタビュー
                    キャット・サンダーズ


自由にしてくれた恩人になんとお礼すればいいのだろう?寛容の精神と驚くような当意即妙の言葉で、人生の道のりを永遠に変えてくれた人になんと感謝すればいいのだろう?

イハレアカラ・ヒュー・レンは私にとってそんな人間だ。必要なときに思いがけず現れる魂の兄弟のように、イハレアカラは、1985年3月、私の人生の大転換期に現れた。

彼と会ったのは、「ホ・オポノポノによる自己覚醒」というワークショップで、イハレアカラは先住ハワイ人のカフナ(秘儀の守り手)の故モルナ・シメオナと一緒に教えていた。

私にとって、イハレアカラとモルナはいのちの律動のようなものだ。ふたりはとても大切だが、私は普通の人間としてはかならずしも見ていない。しかし二人からの影響は夜中に聞こえるアフリカのドラムのようにいつも私の中に規則正しく脈打っている。
最近、光栄にもモルナによって創られたThe Foundation of I Inc.からイハレアカラをインタビューするように依頼された。そのうえ、そのために彼がハワイからわざわざ会いに来てくれるという。

イハレアカラ・ヒュー・レン博士はFoundationの代表であり経営者である。モルナとともに長年にわたって数千人のひとびとに教えて来た。その中には、国連、ユネスコ、世界平和に関する人類統一国際会議、世界平和会議、伝統インディアン医療会議、ヨーロッパ平和ヒーラーズ協会、ハワイ州教職員協会などがある。
また発達障害者や触法精神障害者とその家族とのさまざまなレベルでの実践経験がある。教育者としての彼の活動のすべてに、ホ・オポノポノのプロセスが支えとなり脈打っている。

簡単に言うと、ホ・オポノポノとは「正しくする」、「間違いを正す」という意味である。古代ハワイ人によれば、過ちは過去からのつらい記憶に冒された思いから起こるとされる。ホ・オポノポノは、不安定と病気を生んでいるこの苦しい記憶、すなわち過ちのエネルギーを解放する方法を教えてくれる。

現代に合わせたホ・オポノポノのプロセスに加え、モルナは自己存在の3構成部分も含めるように導かれたが、それはセルフ・アイデンティティーのキーポイントになっている。
その3部分とは、現実世界のあらゆる微細分子に存在し、ユニヒピリ(子/無意識)、ウハネ(母/意識)、アウマクア(父/超意識)と呼ばれる。

この「内なる家族」が正しく揃っているときは、聖なる存在(Divinity)と波長が合っている。このバランスがとれていると、いのちが流れ始める。このように、ホ・オポノポノはまず個人のバランスを回復することを助ける。そしてそれからすべての創造物の順になる。

私が知る限りもっともパワフルな許しのプロセス(ホ・オポノポノ)とこの3構成システムを紹介して、イハレアカラとモレナはつぎのことを教えてくれた:私のいのちのすべての部分、そして全宇宙、を癒すもっともよい方法は、100%責任を持つことと自分自身に働きかけることである。
さらに、二人は自己を大事にする簡単な智慧を教えてくれた。インタビューの後にイハレアカラが礼状にこう書いてくれた、「自分を大事にすること。そうすれば、すべてが恩恵を受けるのです」

あるとき、私が参加していたクラスの途中でイハレアカラが出て行ってしまい午後中いなくなってしまった。ユニヒピリ(子/無意識)が彼にホテルに戻ってゆっくり昼寝するように指示したからである。もちろん、彼は出て行かなければならない責任があった。そしてモレナがかわって教えることになった。
そのとき以来、彼が出て行ったことが深い印象として私のこころに残っている。
他人のことをまず考えなさいと教えられた家庭や文化で育った私のようなものにとって、イハレアカラの行動は驚きでありまたうれしいことであった。彼は昼寝をしただけだが、私には忘れられない自己を大事にすることの教訓になった。

(キャット)イハレアカラ、1985年にあなたに会ったとき、私は代理店のカウンセラーとして4年間働いた後で独立したばかりでした。そのときあなたはこう言ったのですよ、「あらゆる治療はごまかしだ」。そこで私は「なんてこった!じゃあどうすればいいのだ?」と思いました。あなたが正しいことは分かっていたので、おもわず仕事を辞めようとしました。まあ、けっきょくは辞めなかったのですが、あの言葉でそれからの私の患者さんに対するやり方がすっかり変わりました。

(イハレアカラ)セラピストとしての私が、あなたが病気で私がそれを治療するという考えをもったときにごまかしが起きるのです。そうではなく、あなたが私のところに来たのは、私のこころに起きていることを見る機会を与えてくれるためだと思えれば、それはごまかしにはなりません。そこには大きな違いがあります。
あなたが他人を救うため、他人を癒すため、他人を導くためという信念のもとでセラピー(治療)をするのなら、あなたがもたらす情報は知性、意識からくるでしょう。
しかし知性には問題を真に理解することも解決することもできません。知性はあまりにも次元が低いので問題を解決するにはまったく役に立たないのです。
ホ・オポノポノやそれに類するプロセスによる変容によって問題が解決されても知性は気づきません。そのとき、その問題とそれに関連するすべてが解決されるのです。しかも、微細なレベルまで、原始に遡ってまでです。
ですから、まず最初にもっとも大切な質問とは、「なにが問題ですか?」と訊くことなのです。人びとに訊ねると、よくわかりません。わからないので、問題をどう解決しようかとします。

(キャット)問題があたかも「外にある」ようにですね。

(イハレアカラ)そうです。たとえば、この前92歳のおばあさんの娘という人から電話をもらいました。その人はこう言いました、「私の母が何週間もおしりがひどく痛くなっています」。彼女の話を聴いている間,私は聖なる存在(Divinity)にこう訊ねます。「私の中の何がこの女性の苦しみの原因をつくっているのでしょう?」そして、「私の内にあるその問題を解決するにはどうしたらいいのでしょう?」と訊きます。そして、その質問への回答が与えられ,私は言われたとおりやるだけです。
一週間後に同じ女性から電話がきて、「母がよくなっています」と言うかもしれません。でもそれで問題がふたたび起きないとは言えません。なぜなら同じ問題のように見えても、複数の原因が関係していることがあるからです。

(キャット)私もいろいろと慢性的な病気と痛みに悩んでいます。それには、いつもホ・オポノポノとほかのクリアリングプロセスを使って、原始以来私自身が原因をつくってきたあらゆる痛みを解放するようにしています。

(イハレアカラ)そうですね。私たちのような者が治療という職業にあるのも、自分自身が多くの痛みの原因をつくって来たからなのです。

(キャット)なるほど!

(イハレアカラ)それを知っていることは素晴らしいことです。それに、私たちが人びとの問題の原因をつくっているのに、それに対してお金を払ってくれるなんて!

ニューヨークのある女性にこのことを言ったら、こう言いました。「まあ、彼らが知っていればいいのに」。でも、だれもこのことは知りません。精神分析医や精神科医は、自分が他人を治すためにいるんだと思っています。
ですから、あなたのような人が私のところへ来ると、私は聖なる存在(Divinity)にこう言います。「キャットの苦痛の原因になっている私の中で起きているものが何であれ、
どのようにそれを消すことができるかどうか教えてください」。そして与えられる情報がなんであれ、あなたの痛みが消えるまで、あるいはあなたがもういいと言うまで、それを行うのです。その際、問題をあきらかにすることが重要であり、結果はそれほど重要ではありません。そこがキーポイントです。

(キャット)私たちは結果をコントロールできないからですね。

(イハレアカラ)そうです。できるのはお願いすることだけです。

(キャット)それに、どの痛みや病気が変化するのかも分かり得ません。

(イハレアカラ)ええ。ある女性が効果あると言われて薬草を飲んでいても、なにも好転しない場合があります。そんな時も、質問は、「私の中のなにが、この女性に薬草が効果無いようにしているのでしょう?」それに私は集中します。クリーニングを続け、口を閉ざし、変容プロセスが起きるのを待ちます。知性が関わった瞬間、このプロセスは停止してしまいます。
ヒーリングが効果を示さない場合におぼえておくことは、複数の過ちが関わっている可能性があることです。複数の問題やつらい記憶が苦痛の原因になっている場合です。私たちはなにも知り得ません。なにが起こっているのか知っているのは聖なる存在(Divinity)だけです。
先月ダラスで講演した際、霊気マスターという女性と話しました。私は、「質問があります。問題を抱えた人があなたのところへやってきたとき、問題はどこにありますか」と訊ねました。私が、「問題をつくっているのはあなたなんですよ。つまり、あなたのクライエントはあなたの問題を解決するのにあなたにお金を払うんです」と言うと、彼女は困った顔をしました。だれも理解したひとはいません。

(キャット)100%の責任ですね。

(イハレアカラ)問題の原因をつくっているのは自分だと100%知ることです。責任があること、そしてその過ちを正す責任があることを100%知ることです。みんなが全員100%責任あることを知ったらどうならか、想像できますか。

10年前、私は自分とある取り決めをしました。もしだれも判断せずに一日過ごすことができたら、自分にホットファッジサンデー、それも超特大のをごちそうしようというものでした。でもいままでできたことが一度もありません。ますます頻繁になっている自分に気づいているほどで、とても判断なしに一日を過ごすことはできません。
ではどうやったら人にわかってもらえるでしょう。私たち自身が問題に100%責任あるということを。
問題を解決したかったら、それがなんであれ、自分自身に働きかけるのです。もし問題が、たとえば、他の人とのことだったら、自分自身にこう訊くのです。「この人が私をいらいらさせるのは、私の中になにがおこっているからなのだろうか?」人があなたの人生に現れるのは、あなたをいらいらさせるためだけです。それが分かればどんな状況でも一変させ、解放させることができます。簡単です。こう言えばいいのです、「起きていることがなんであれごめんなさい。どうか許してください」

(キャット)それは声を出して言う必要がないんですね。それに問題がなにか知る必要もない。

(イハレアカラ)それが素晴らしいところです。理解する必要がない。インターネットのようなものです。どうなっているのかさっぱり分からない。でも聖なる存在(Divinity)に行って、「ダウンロードしてください」と言うと聖なる存在(Divinity)がダウンロードしてくれて、必要な情報が手に入るわけです。でも、私たちは自分自身がだれなのか分かっていないので、「光」から直接ダウンロードするわけにはいきません。それで外に出るのです。
モルナがよく言ってました、「これは自分だけの仕事です」。うまくやっていきたいのなら、自分だけの仕事をすることです。自己に働きかけるのです。

(キャット)100%責任をとることが唯一うまくいくことだと分かっていますが、このことで苦労していたことがあります。私が過剰に責任感の強いタイプだからなんです。
あなたが自分だけでなく、いかなる状態や問題にも100%責任があると言うのを聞いたとき、「うひゃー!これはクレージーだ。これ以上責任をひきうけろなんて言われる筋はない」と思いました。
でも、そのことをよく考えれば考えるほど、過剰に他人に対して責任感を感じるのと自己に対して全的な責任をとることにはおおきな違いがあるのが分かってきました。ひとつは行いの良い少女のようなもので、もうひとつは自由になるということです。
あなたが精神異常犯罪者のためのハワイ州立病院で精神科医スタッフとしていたときの話しをしてくれました。そこで働き始めたときは、犯罪者棟は暴力がはびこっていたのですが、4年後にあなたが去って行ったときには、まったくなくなっていたそうですね。

(イハレアカラ)つまり、100%責任をとったのです。自己に対して働きかけただけです。

(キャット)囚人たちとの治療では、あなたと一緒になることはなかったそうですね。

(イハレアカラ)そうです。オフィスには結果を見に行っただけです。もし彼らがまだうつ状態のようであれば、さらに自分に対して働きかけました。

(キャット)いわゆる物(無生物)にホ・オポノポノがどう使われているか話してくれませんか。

(イハレアカラ)あるときホールで講演をしようとしていたときのことです。私は椅子たちに話しかけていました。「だれか見過ごしているものはいるかい?私に聞いて欲しい問題を抱えているものはいるかい?」と訊ねました。椅子のひとつがこう答えました、「今日この前のセミナーで金銭上の問題を抱えた人間が私の上に座っていたので、もうくたくたです」。それで私がその問題をクリアしてあげると、その椅子がまっすぐ立っているのに気づきました。すると、「いいよ。つぎの人間がきてももう大丈夫だ」と言うのが聞こえました。
実際私がやろうとしていることは、部屋に教えることです。部屋とそこにあるあらゆるものににこう言います、「ホ・オポノポノを習いたいかい?私はもうすぐ行かなくてはならないんだ。自分たちでできるようになったら素晴らしいだろう?」すると、あるものはそうだと言い、あるものは嫌といい、あるものは「疲れちゃったよ」と言います。
そこで私は聖なる存在(Divinity)にこう訊ねます。「かれらが学びたいと言っていますが、どうやって教えればいいのでしょう?」すると、普通はこういう回答がきます。「青い教則本(Self I-Dentity Through Ho'oponopono)を置いておけば良い」。それで、レクチャーをやっているあいだ、その青い教則本を椅子かテーブルの上に置いておきます。テーブルがその間静かに、なにをやっているのか理解してくれていることに私たちは感謝しなければいけません。

ホ・オポノポノは本当にとてもシンプルです。古代ハワイ人にとって、すべての問題は思考から始まるとされていました。しかし考えを持つこと自体は問題ではありません。ではなにが問題なのでしょう?問題は、私たちの思考には、すべてつらい記憶や人びと、場所、ものごとの記憶が染み込んでいることなのです。
知性だけを働かせてもこの問題は解決できません。なぜなら、知性はただ管理するだけだからです。ものごとを管理することは解決することとは違います。問題を無くしたいのですから。ホ・オポオノポノで起こることは、聖なる存在(Divinity)がその苦しい思考に働きかけ,(そのエネルギーを)中和し浄化してくれるのです。人や場所、ものごとに結びついているエネルギーを中和するのです。そうやってホ・オポノポノの最初のステップはエネルギーの浄化作用をします。
すると素晴らしいことが起きます。その(マイナスの)エネルギーが中和されるだけでなく、解放されるのです。つまり白紙の状態になるのです。仏教ではこれを「無」と呼んでいます。そして最後に、聖なる存在(Divinity)に入ってもらってその「無」を光で満たしてもらうのです。
ホ・オポノポノをするのに、何が問題か,何がまちがいか知る必要はありません。必要なことは、自分がいま経験している肉体的、精神的、感情的なあらゆる問題を認識するだけでいいのです。問題に気づけば、すぐクリーニング(浄化)を始めることがあなたの責任です。ただこう言えばいいのです、「ごめんなさい。どうぞ許してください」。

(キャット)ですから知性が本当のやることは問題を解決することではなく、許しを請うことなんですね。

(イハレアカラ)そうです。私がこの地球でやる仕事は二つあります。まず最初は過去の償いをすること。ふたつめは眠っている人を目覚めさせることです。ほとんどの人が眠っているんですよ。その人たちを目覚めさせる唯一の方法は私自身に働きかけることです。このインタビューがよい例です。今日の約束の数週間前から、私はクリーニングをずっとやってきました。ですからいまあなたとここで会ったときは、ふたつの水たまりが一緒になったようなものです。いっしょに経験しそして去って行く。それだけのことです。

(キャット)10年間インタビューをやってきて、私が準備をなにもしなかったのは今回が初めてです。なんど訊ねても、私のユニヒピリ(子/無意識)はなにもせずただ行ってあなたに会えばいいと答えるのです。私の知性はなんとか準備しなければと大騒ぎでしたが、結局そうしませんでした。

(イハレアカラ)それでいいんですよ。ユニヒピリはまったくおもしろいですね。ある日、ハワイの高速道路を走っていたときのことです。いつもの出口に向かおうとすると、私のユニヒピリが歌うような声で、「もし自分だったらそっちには行かないよ」と言うのが聞こえました。「でもいつもここを出るんだけどなあ」と私は思いました。そして約50ヤードあたりまで近づいたとき、「ハロー!自分だったらそっちに行かないよ!」とまた聞こえました。2回目のチャンスです。「でも僕らはいつものこの道だよ!」私は大声でしゃべっていたので、まわりの車の人たちが変な目で私を見ています。25ヤードまで来たとき、大きな声で聞こえました、「自分だったらそっちに行かないよ!」でも私はそっちに行ったのです。そして結局2時間半車の中にいるはめになりました。大きな事故があったのです。前にも後ろにも動けませんでした。ユニヒピリが最後に言いました、「だから言ったでしょ!」そしてそれから何週間も私に話しかけてくれませんでした。聞いてもらえないなら、わざわざ話しかけることもないというわけです。

またあるとき、テレビでホ・オポノポノについて語ることになりました。子どもたちがそれを聞いてこう言いました、「お父さん、テレビに出るんですってね。ちゃんと靴下が揃っているか確かめてね!」私がなにをしゃべるかは問題ではないんです。靴下がちゃんと揃うかが彼らには問題なんです。子どもたちは人生でなにが大事か自然と知っているんですね。

(このインタビューは1997年9月The New Timesに掲載された)
訳文責:森田玄

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