国家の威信(と税金)をかけたマンハッタン計画ですからね。(マンハッタン計画については、当時12歳だったアメリカ人の少年2人が創った『魔法のランプのジニー』にも描かれていて、驚きました。「原爆の投下で戦争を終わらせ、たくさんの生命を救った」と教え込まれているアメリカの少年が、よく調べたものです。)
そして1945年8月6日に広島にウラン原爆、8月9日に長崎にプルトニウム原爆が落とされたのでした。もし、日本を降伏させるためだけだったら、広島への原爆投下だけで十分だったでしょう。二つの違う種類の原爆の威力をテストする目的がありました。
その後、この原爆を生き延びた被爆者の方々にABCCが治療をしなかったことは、やっと知られるようになりましたが、人間が人間にここまで残酷なことができてしまうこと(人間と思っていなければできるのでしょうね)が恐ろしいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/26276180.html
私は毎年、安房平和行進に参加して房総半島を歩いてきましたが、今年は参加できませんでした。参加できない代わりに、以下のメッセージを送らせていただきました。
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スイカの美味しい季節になり、今年も安房地域平和行進の暑い夏がやってきました。 今日ここに集い、平和のために歩くみなさまに心から敬意を表します。
1945年8月、広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾が落とされ、20万人以上の人々が一瞬にして尊いいのちを奪われました。
未曾有の体験を生き延びた人々は「ヒバクシャ」として苦しい人生を送りました。
どうして私たちは「核の平和利用」という言葉ににだまされて、この狭い地震列島に54基もの原発建設を許してしまったのでしょうか。
「原爆の恐ろしさを知る日本人が、どうして核に決別できなかったの」と、外国の友人が私に聞きます。
歴史をひもとけば、原発導入は日米の少数の権力者によって秘密裏に決定され、国策として推進されたことがわかります。
3・11の大地震が起きる前に、原発を止めることができなかったことを、私は悔やんでも悔やみきれません。
野田首相が内外に「福島第一原発事故の収束宣言」をしても、実際には事故は今も収束していません。1年4ヶ月以上たっても、放射性物質は海へ空へと漏れ続けています。今や放射能汚染は福島だけに留まらず、日本中の食品を汚染しています。瓦礫の焼却でまた放射性物質が拡散すれば、内部被曝の影響はどこまで広がるかわかりません。
そんな中で子育てをしなくてはならないお母さんたちは、途方に暮れているでしょう。高線量の地域で暮らさざるを得ない人々は、憲法で保障されている「健康に生きる権利」を奪われていると私は思います。
また、昨年来、海に放出された放射性物質は、米国で水揚げされたクロマグロからも検出され、今後10年で太平洋ほぼ全域に広がります。今や日本が、世界一の環境汚染国家となってしまいました。私にとって、これほど悲しいことはありません。
今こそ声を大にして言います。
「ノーモア・広島、ノーモア・長崎、ノーモア・福島、ノーモア・ヒバクシャ」、と。
原爆と原発の悲劇を体験した日本人だからこそ、立ち上がり、つながり、日本から世界に向けてはっきりと訴えます。
「もう核兵器も原子力発電所もいらない!」、と。
ーーーー安房平和行進に寄せて
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