サティシュさんの今日の話はどれも共感、感動するものばかりでしたが、もっとも感動したのは、彼がピースウォーク(平和巡礼)をしたときの話。
核兵器廃絶を唱えた90歳を越えるバートランド・ラッセルがイギリスで逮捕されたというニュースに接して、カフェでコーヒーを飲んでいた当時19歳だったサティシュと友人は、自分たちも平和のために何かできないか話し合い、核兵器保有国(当時はアメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランス)の首都へ徒歩で平和巡礼をする決意をします。
師にそのことを祝福してもらいに行くと、師は「祝福しよう、ただし一つ条件がある」。
その条件とは一銭もお金を持たずに巡礼をする、ということでした。お金を持たずに巡礼をするためには、行く先々で見知らぬ人と対話をし、共感を得て、サポートをしてもらう必要があります。平和のために本気で歩くのなら、それぐらいコミットしないといけない。お金を持つということは、神と人々を信頼していないことになる。信頼がなければ平和は実現できない、というのでした。
それで彼らは一銭も持たずに平和巡礼をはじめました。1ヶ月インド国内を歩いていよいよパキスタン国境に到着。インドとパキスタンは3回も戦争している敵同士。国境のお別れのとき、親友が「お金を持っていかないというのなら、せめてこの食べ物を」と食料の包みを渡します。
それを受け取ってしばらく考えサティッシュは、友人にその包みを返していいました。「これは不信の包みです。パキスタンの人が私たちを食べさせてくれないと思っていること、神様を信じていないことの証になってしまう」と。友人は涙を流しています。「どうして泣くのか?」「これで二度と君と会えなくなってしまうかもしれない。君が生きて帰ってこられるかどうか心配」「もし仮に私が死ぬことになったとしても、平和のために死ぬのだったら、それは最高の死に方だと思わないかい?」と彼は笑顔で返しました。そして、泣いている友人を後ろに国境を越え・・・・見事、2年半、10カ国、14000キロを歩いて、ミッションを果たしました。
このときサティシュは死の恐れを手放したそうです。死の恐れがなくなると、他に何も怖いことはないので、それ以来、自由に、そして自分の喜びを指針として生きている(現在73歳)とのこと。
私は彼の話を聞きながら、ずっと泣きっぱなしでした。
対談のときも、ただ見つめ合い、そう、そう、とうなづくばかり(で、私はあまり話さなかった)でした。私が話したのは、9歳の娘との昨日の食事のときの会話のことです。
我が家では食事の前に「太陽と大地と海の恵みに感謝していただきます」と感謝の歌を歌います。そのとき、あんなが「このサラダがここにあるのは、雨や雲のおかげだね。そして太陽や土、このお皿、テーブルも、それを運んだ車、ガソリン、車を作った人や工場、車のその運転手さん、その運転手さんのお父さん、お母さん、そして・・・・」と延々に彼女の思いつくまま、つながっているものを話してくれました。彼女なりに、すべてのいのちはつながっていて、相互依存し共生している、というのを発見したようです。
このことに私の心がどれだけ踊ったか!
サティシュの話は、教育、環境、平和、健康、瞑想、シンプルライフとつきませんでした。もっともっと話を聞きたかった。ずっと一緒にいたかったです。21日は発明会館でも彼の話が聞けますので、ぜひ!
彼の本の『ブッダとテロリスト』を朗読劇にした脚本家の梶本恵美さんとも出会いました。この本もさっそく読んでみたいです。
p.s.
今日、制作中のリチャード・ゲイジのDVD『9/11:真実への青写真』のレーベルが仕上がりました。としちゃん、ありがとう。かっこいいです。
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