2012/03/11

偶然に、奇跡的に、今、生きているーー3.11によせて

私の、そしておそらくあなたの人生を変えた2011年3月11日の東日本大震災から1年です。私は今日、新たに、自分のいのちを、自分の家族のいのちを、そして自分とつながるあらゆるいのちを大事に生きることを決意します。

京都の諸留さんから、『朝日新聞』2012年3月8日(木)朝刊第一面記事を送っていただきました。そこに書いてあることに、目を疑いました。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201203070856.html
こちらは、朝日新聞デジタル版:
http://einstein2011.blog.fc2.com/blog-entry-571.html

「今回の福島第一原発事故が、あの程度の事故で済んだのも、日本の原子力技術の高度さ、確かさがあったからこそだ!」と、原子炉工学の専門家が言うのを、「そうだったのか。それで救われたのか」、と思っていました。

しかし実際は、偶然と奇跡が重なって、運良く首都圏崩壊が免れたのでした。福島や東北だけでなく、首都圏、いや日本列島の半分以上が、世界史上かってないほどの深刻な放射能汚染大事故になっていても、全く不思議でなかったことが、朝日の記事で明らかにされました。

私は今からハワイ島のヒロにあるハワイ大学で「311から一年:私たちにできること」をテーマに講演をさせていただきます。あの日、東京で帰宅難民になり、翌日、千葉県の房総半島で家族と再会した私が、現在、こうして生きているのは、偶然で奇跡でしかないのだ、というのを肝に銘じます。

偶然の出来事がたまたま2つ重なり、この程度の被害で留まっているのです(この被害でも重篤でありますが)。決して日本の原子力工学技術の優秀さが、大惨事を回避できたのではありませんでした。このことも肝に銘じましょう!

-----朝日新聞報道記事(諸留さんの註入り)--------

 東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機[◆註:1]の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。

 4号機は一昨年11月から定期点検に入り、シュラウド[◆註:2]と呼ばれる炉内の大型構造物の取り換え工事をしていた。1978年の営業運転開始以来初めての大工事だった[◆註:3]。

 工事は、原子炉真上の原子炉ウェル[◆註:4]と呼ばれる部分と、放射能をおびた機器を水中に仮置きするDSピット[◆註:5]に計1440立方メートルの水を張り、進められた。ふだんは水がない部分だ。

 無用の被曝(ひばく)を避けるため、シュラウドは水の中で切断し、DSピットまで水中を移動。その後、次の作業のため、3月7日までにDSピット側に仕切りを立て、原子炉ウェルの水を抜く計画だった。

 ところが、シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。

 4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。

 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。

 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。

(記者:奥山俊宏)
ーーー
[◆註:1]福島第一原発4号機は、BWR(沸騰水型)Mark I 型。1978年10月12日稼働。出力78・4万キロワット。日立製作所。総工費約800億円。

[◆註:2]BWR炉心内のシュラウドについて
http://www.engy-sqr.com/kaisetu/topics/shroud.htm
添付ファイル「BWRのシュラウド構造図」および
添付ファイル「4号炉冷却プール構造図」参照

[◆註:3]「シュラウド」の交換は、何故行わねばならなかったのか?
シュラウドの応力腐食割れ(SCC)対策が交換の必要の原因だった!
http://www.engy-sqr.com/kaisetu/current%20topics/scc.htm

[◆註:4]核燃料プールには、使用済み核燃料と、交換用の新核燃料が貯蔵されている。圧力容器の上の部分を「原子炉ウェル」と呼ぶ。このウェル(well)とは、井戸のこと。ちょうど。井戸の底に原子炉を埋め込んだような形になっているので、こう呼ばれる。

[◆註:5]DSピットの説明図(東京電力)
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_110620_02-j.pdf

【参考 その1】
読売新聞社のYOMIURI RINEでも簡単に報道されてます。朝日のほうが詳しい。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110428-OYT1T00663.htm

【参考 その2】
2012[平成24]年3月11日現在の、福島第2原発4号炉の核燃料プールの危険な状態について
http://nucleus.asablo.jp/blog/2012/03/10/6369818


ーーー以上、転送/転載/拡散歓迎、ということで、転載させていただきました。

諸留さんのメールの最後には、署名ファイルと一緒に以下の2編の詩があります。原発震災現在進行形の今、この2編の詩は心深くに響きます。

真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)



「あとから来る者のために」

あとから来る者のために 田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ 自分にできる
なにかをしてゆくのだ     (坂村真民)

あとからくるものに、大量の放射性廃棄物を残す世代の一人として、心から謝罪します。ごめんなさい。大地震が原発を襲えばこうなることがわかっていた私たちは、あまりに声が小さく力がなく、311の前に原発を止めることができませんでした。取り返しのつかない重荷を背負わせてしまった私より若い世代に、本当にごめんなさい。

そんな中で日本中で、この事態をなんとか変えようとしている多くの友人・知人たち、まだお会いしたことない数多くの方に心から感謝します。ありがとうございます。

私もいのちがある限り、この地球上の原子力の火を止めて、新しい自然に寄り添った社会を創造することに尽力することを宣言します。

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