子どもに「なぜ、原発を止められなかったの?」と聞かれたら、なんて答えよう。
「取り返しのつかないことをして、本当にごめんなさい。一生懸命止めようとしたけれど、まったく歯が立たなかったの」
としか言えない。
311原発震災後に、最初に出て来た言葉は「ごめんなさい」。
今も変わっていません。
実は私も、原発の危険性を初めて知ったとき(チェルノブイリ原発事故のとき)に、親に聞いたことがあります。
「なんで原発を許してしまったの?」と。
「原発が危険だとは知らなかった。日本を豊かにしてくれる素晴らしいものと思っていた」という返事でした。体制には逆らわない、いつも自民党に投票するような両親でした。
そんな親を反面教師としたのか、私は体制や権力と違う主張や行動をしていることが多いですね・・・。いのちを守ろうとすると、体制と違う選択になるだけなんですけどね。でも、ときどき、なんか無駄なことしているのかなあ、と思うこともあります。
環境問題の解決に一生を捧げるつもりで生きてきたけれど、311が起きてしまったので、私がやってきたことは何の役にも立たなかったとしみじみ思います。もう311以前に戻れないですから。
環境に漏れてしまった放射能は、もうどうしようもない。気の遠くなる時間を、ずっと続く汚染を子どもたちに残して、私は先に死んでいくことになります。
悔やんでも悔やみきれません。
311の前に原発を止められなかったことが、悔しくてしかたない。大地震が原発を襲えばこうなることは知っていたのに、決定権を持つ人たちに何も影響を与えることができませんでした。その結果、多くの人の故郷を奪い、放射性物質を世界中にばらまいて、日本に暮らす人々だけじゃなく、太平洋の生き物や北半球の生物も被曝させている。悲しい・・・
力がない
決定権がない
影響力がない
伝わらない
共感してもらえない
聞いてもらえない
行動してもらえない
ないないづくしだ・・・。
昨年の春休み、結婚10周年で家族にハワイ島に来て以来、そのまま子どもたちは本人の意思に関係なく(私たち親が子どもに英語に不自由なくなってほしいと望んでいることもあります)、強制移住させられました。私は頻繁に日本とハワイ島を行き来していますが、子どもたちは戻れません(飛行機代が払えない)。
そのことに対して、311前は友人だった人から「日本から離れた人に放射能の不安を煽るようなことを言ってほしくない」と言われました。彼の故郷は福島です。
私は311以降、福島周辺から避難したお母さんたちと接して、彼女たちの気持ちには寄り添ってきましたが、福島に残っている人たちには十分寄り添っていないことが、彼をいらだたせたのかもしれません。いわきの友達は家がまるごと津波で流されてしまったので引越しましたし、20キロ圏内で農的暮らしをしていた友人は強制移住させられました。
私は311直後から今まで一貫して、「妊婦と子どもは一刻も早くなるべく遠くに避難」を主張しています。彼に言わせれば「動きたくても動けない人のことを考えろ」ということなのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿