2012/02/22

マザー・テレサが広めた「逆説の10か条」はケント・キース作

昨日のブログにマザー・テレサの言葉として紹介した詩は、実は彼女のものではなく、それが書かれ、マザー・テレサに伝わった当時(1968年)、大学生だったケント・キースのものだった、ということをフランス在住の小林さんから教えていただきました。

ここにそのことが書いてあります。
http://www.myspiritual.jp/2009/07/post-277.php

ケント・M・キース氏が、高校生向けの小冊子に記したものが、マザー・テレサに伝わり、それに感動した彼女が「孤児の家」に書き写したことから、マザー・テレサの言葉として広まった、ということのようです。

マザー・テレサほどの人でも、この詩に感動するほど実際は悩み傷ついていたのですね。彼女のような偉業を成し遂げた人は、案外孤独だったのかもしれません。私のような凡人が悩むのは当たり前だな、と思えてなんかホッとしました。

昨日のブログに暖かいコメントを下さった方に、どうもありがとうございます。また、いつも読んで下さる方にも、感謝しています。読んで下さる方がいなければ、書いても意味がないですからね。もしご心配かけたなら、ごめんなさい。

現実は何も変化していませんが、あなたからいただいたコメントや応援で、私の心は今、昨日よりは穏やかでやすらいでいます。昨夜も良く眠れましたし(が、ぐっすり寝ている間に隣の家にドロボーが入った。続けて二件目。この辺りが狙われているみたい。幸い我が家は高価なものは何もないので、ドロボーに入られても取るものがないが、両隣がドロボーにやられた、というのは火事に続き物騒ではあります)、今日も家族一緒にご飯を食べることができました。

このことだけでも、どれほどありがたいことか、と思います。

大学生のときに、高校生のためにこんな詩を残したケント・キースという人がどういう人だったか、興味が湧きました。彼の本も日本語になっているようですので、読んでみようと思います。

ケント・キース著「それでもなお、人を愛しなさい

「辛い体験は全てその人を成長させるために起きている」、というのは時が経つと理解できます。その真っ最中は、つらくて悲しくてしんどいだけなんですけどね。きっと今回も学びと成長につながっていくのだ、ということを信頼しています。

すでに嬉しいことがありました。コメントやメールを下さったあなたの存在を知ったこと。存在と、ブログを通してつながっていることに感謝。昨日のブログを書かなかったら、存在を知り、つながりを感じることはありませんでした。ありがとうございます。

このこととは別に、新たに悲しいニュースがありました。昨年、ハワイ島までやってきてくれて、私たちと楽しいときを過ごしたフクヤンが、薬の副作用で亡くなった、ということを知りました。まだまだ若くて、あんなに元気だったのに、信じられないです。

いのちの不思議。

いのちが突然終わってしまうことのはかなさと悲しみ。
もう彼とは生きては会えません。

311以降肝に銘じていることは、自分のいのちもいつ突然に終わってしまうのかわからないのだ、ということ。確かなことは、肉体は有限で、私もあなたも必ずいつかこの世から去るということ。

生かされている一日一日を大切に生きて、悔いのないように旅立ちたいです。

今回、311原発震災でこれだけ多くの犠牲を払い続けているにもかかわらず、日本の原発を止められなかったら、私は安らかに旅立てないでしょう。今日本で稼働中の原発は残り二基(新潟の柏崎刈羽原発と北海道の泊原発)。

私の生きている間に、原発と戦争を減らし、できることならなくしたいです。そのために私ができることは、自分自身の内と周りから、争いとエネルギーの無駄使いを減らしていくことにします。

電気を消して、早く眠ります。



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1 件のコメント:

ねこにゃんさん さんのコメント...

題 : マザー・テレサさんのこと

 マザー・テレサさんが、初めて、インドの社会に入って行っ
た時は大変でした。
 彼女にあったのは自分の志(こころざし)だけ。
 彼女を受け入れたのは、インドの「ヒンズー教の方たち」で
した。
 彼女の活動のための家を貸し、彼女の活動のための手助けの
人達が駆け付けました。
 元々、マザー・テレサさんのやりたい志の事は「ヒンズー教
の方達はしていました」。
 だから、正確に言えば、「マザー・テレサさんが、志を同じ
くする人たちの中に入って行った」なのです。
 ヒンズー教の方達は、多神教。
 イエス・キリストやマリアもヒンズー教の神々の一人として
いる宗教。
 この様な宗教教義の面からも、マザー・テレサさんもスムー
ズに受け入れられました。
 一神教のキリスト教には「異教徒を殺せ」の教義がある様に、
異教徒を忌む宗教ですので、この様なスムーズな受け入れとは
ならなかったでしょう。
 マザー・テレサさんは、最初、キリスト教からは、まったく、
孤立無援。
 手助けはヒンズー教の方達だけでした。
 彼女が、アメリカの映画の題材にされ、注目されるようにな
って後、キリスト教が、今までは何も彼女に注目せず、手助け
もしなかったが、世界の注目を集める様になってから、彼女と
行動をする様になった。
 今、キリスト教は、彼女を「広告塔」にしていますが、そし
て、ヒンズー教の方達は黙っていますが、真実は、この様な経過
をたどった。
 マザー・テレサさんが「ノーベル平和賞」を受賞しましたが、
同時に「ヒンズー教の方達も受賞すべき」でした。
 ノーベル賞選考委員はキリスト教徒だけ、その点、「お手盛
り」となった。
 インド政府は、彼女が亡くなられた時、国葬として大きな葬儀
を行ないましたが、キリスト教組織にも、この様な、大きな度量
が欲しいところです。
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
  URL: http://32983602.at.webry.info/