2009/01/19

ガザ:イスラエルの「停戦」の意味 by清末愛砂

国際連帯運動(ISM)に参加し、イスラエル兵に撃たれて自らも負傷した経験のある清末愛砂さんからのメールをそのまま転載します。本当に、本当にメディアは何を見て、報道しているのでしょう?自分に広く伝える力がないことが悔しいです。

ごめんなさい。許してください。
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「停戦」、あるいは「一方的」という言葉は何を指すのか。

 2009年1月18日

イスラエル「一方的な停戦」が伝えられました。すでに新聞等の報道で知った方も多いと思います。朝、BBCのウェブニュースを読んでいるときに、一番最初に目に入ったもの。それは、ガザ南部のラファの写真でした。
破壊されて、廃墟となってしまったラファ。すぐさま、明日の授業で学生たちに見せるために、ダウンロードしました。3週間にわたる激しい空爆や砲撃のなかで、ガザは再び(いや、再び、再び、再び・・・)「グラウンド・ゼロ」になってしまいました。

ガザ住民を一方的に責め続け、生身の身体をミサイルで粉々にし、生活空間を破壊しつくし、これ以上の血と涙が出ないほど惨い攻撃をしたあとに、イスラエルは何一つ譲歩せず、「一方的停戦」を勝手に宣言。その内容とは、イスラエル軍が「停戦」の名のもとで、ガザに地上軍を残すというもの。こんなもの、許されるはずがない。殺人マシーンがそのまま居残るということなど。封鎖が続くということ。筆舌に尽くしがたい地獄を経験させられたあと(いや、
今もしている)もなお、形を変え、パレスチナ人を支配する。ガザ住民にとっては、そんなもの屈辱以外なにものでもありません。

ハマースは交渉を拒絶しているわけではありません。交渉の条件として、占領の終結を訴えているのです。占領下・支配下にあって、どうして、その支配者と交渉ができるというのでしょうか。

一切の耳を傾けないのがイスラエルの方なのです。拒否しているのは占領者・支配者であるイスラエルなのです。「一方的撤退」というのはそういう意味です。
支配下においている者の声は一切聞かない、という通告です。

三週間におよぶ激しい爆撃の下で、ガザ住民は持てる最後の尊厳をもって、団結し、生きのびようとしてきました。生きのびることが、残された彼・彼女たちの闘いでした。ガザの住民の68%が1948年のイスラエルの建国の過程で、
パレスチナの豊かなコミュニティを育んできた故郷を喪失した難民です。

それらの人々を含むガザ住民は、一年以上にもわたって封鎖されてきた空間—それはまさしく「野外監獄」です—で世界の目があるはずのなかで、殺され続け、あるいは残された最後の可能性を探して避難しようとするなか、ミサイル
の雨を落とされ続けたのです。そして、残された人々は、これからもイスラエルによって支配され続けるというのです。

自分をのぞいて家族の誰一人も残っていない男性の叫び。子どもたち全員を殺され、半狂乱になっている親たち。同僚たちが殺され、遺体が地面に転がっているなか、生きのびた男性が放心した顔で「神は偉大なり」と言い続けている姿。

これらは、世界が許した戦争犯罪でした。ガザ住民は<私たち>を許してはくれないでしょう。許せるはずがありません。

ガザは、私に「人間であることの恥」を教えてくれた土地でした。2000年に初めてガザを訪問した私は、占領がガザ住民に与え続けているむき出しの暴力を目にしたとき、人間が人間に対して行っているあまりの残酷さに声をうしないそうになりました。砂の一粒一粒にすら、占領の暴力が刻まれている、そう思わせた土地でした。人間は理性など持ち得ていない、と確信させた地でした。それから9年の間、ガザの状況は悪化するばかりでした。2000年が
まだましだったと言えるほどに。

マス・メディアの多くは、「一方的停戦」をポジティブに報道しています。なぜ、内実を見ないのでしょうか。なぜ、イスラエルによる国家テロを批判しないのでしょうか。イスラエルのメディア戦略に、わざわざだまされてあげるのでしょうか。三週間、留まることなく進行し続けたエスニック・クレンジングをなぜ批判できないのでしょうか。答えは簡単です。そうしないことを「恥」だと感じないからでしょう。

「一方的」という言葉を聞くと、2005年のことを思い出します。イスラエルはポーズとして、「ガザから入植地を撤退」させました。あのときも「一方的撤退」という言葉が使われたでしょう。その後のガザは、徐々に徐々に封鎖され、2006年のパレスチナ評議会の選挙でハマース(イスラーム抵抗運動)が勝利し政権についたあと、欧米諸国(日本も含む)がハマース政権に制裁を加えただけでなく、猫の額ほどしかない小さな小さなガザが封鎖されたのです。パ
レスチナ人が民主的な手段を行使したことに対する罰として。

自分たちが気に入らない政党が選挙で民主的に選ばれると制裁を加え、その一方で、「中東唯一の民主国家」等といいながら、イスラエルを擁護する。
イスラエルは「民主的な国」。そうかもしれない。では、誰にとって民主的だというのでしょう。それはイスラエルのユダヤ人に対してのみです。イスラエルの占領下にあるパレスチナ人は、あるいはイスラエル国籍を持つものの二級市民扱いをされているイスラエルのパレスチナ人は、それを権利として行使することすらできません。

今回の攻撃で、ガザの人々は何もかも破壊され、命を奪われ、これ以上の地獄はないというほどの醜い状況を一方的に押しつけられた挙げ句、要求は何一つ受け入れられなかったのです。「一方的」という言葉を使うべきところは、ここにあるのではないでしょうか。

長文を読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

清末愛砂 拝

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3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あの土地に平和が訪れることを願っている者です

おかしいことが一杯です

なぜアラブ諸国はパレスチナを放っておくのでしょう
なぜイスラエルがわざわざアラブ諸国の真ん中に建国されたのでしょう
なぜかつてはお互いの子どもを面倒みていたパレスチナ人とユダヤ人が、お互いを敵だと思うように育てられるようになったのでしょうか

私はイスラエルのやり方に全く賛成はできません
でもイスラエルが置かれている立場を考えると、
イスラエルが強者だという一方的な見方にも賛同できません

匿名 さんのコメント...

<ガザ停戦の報に接し>

イスラエルよ それで良いのか

20世紀中葉 ユダヤ人は
ゲットーという言葉に
ホロコーストという言葉に
自らの悲劇・悲哀を込めたはずだ

21世紀初頭 彼らは
パレスチナを ガザを
ゲットー化し そして
ホロコーストを
想起せざるを得ない
驕慢な酷薄さを見せつけた

数の比ではない
過酷さの比ではない
アーリアの栄光と
ユダヤの選民と
どこがどう違うのかと


<BY 林 敏夫>

Yumi Kikuchi さんのコメント...

makiさん、林さん、ありがとうございます。メディアの論調は「ハマスが攻撃をやめなくては」かせいぜい「どっちもどっち」ですが、実際は圧倒的武力におもちゃのロケットぐらいの差がありますし、広河隆一さんが書いているように、停戦合意を破ったのはイスラエルのほうです。でも、イスラエルはメディアを支配していますから、多くの人がパレスチナ側からの視点を得るチャンスを奪われたままです。インターネットがそうしたことを知れるメディアとしてのわずかな役割を果たしていますが、自ら求めないとアクセスできないですから、やはり多くの人は、「ハマスが悪い」「テロリストをやっつけるのは当たり前」になってしまいますね。

ここまでイスラエルが強硬にでているのをみると、彼らには焦りがある、とも思えます。1月20日からオバマ政権が始まりますが、その前の駆け込み攻撃ですものね。それで殺されてしまった1300人もの人、そして今も生死をさまよう500人以上の重傷者に思いを馳せています。個人としてできる発信を続けていきます。
あきらめない、くじけないで行きましょう!