2009/04/11

生まれて初めての西表島で

沖縄であったことや出会った人のことを少しずつアップします。日付は前後しますが、ご容赦を。西表島に滞在したのは2009年4月1日から4日まで。その前後に石垣島にも寄りましたので、そのことはまた。

石垣島から高速船で小一時間、生まれて初めて西表島に行ってきました。この島に関する私の知識は、絶滅危惧種で天然記念物のイリオモテヤマネコが生息している、ということぐらい。

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あとは、まーちゃんバンドのご家族が民宿「海の家 南ぬ風(パイヌカジ)」
http://www.painukaji.com/uminoie/index.htm
を営み、快療法(元「快医学」)でご縁をいただいたえびなおみさん(『戦争中毒』の翻訳チームの一人)が住んでいるということ。

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えびなおみさんと友和村の石原昌武さんと


今、滞在しているのは島の東側の竹富村古見にある「友和村(ゆうわむら)」という農家民宿(電話:0980-85-5656)。自然派のあなたは、西表に行ったらここに泊まるといいよー。

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友和村では石原一家が育てた完全無農薬のお野菜をムソーの調味料でお料理した美味しくて安心な島料理が食べられます(1泊2食6千円、子ども半額)。ここなら自然食指向の方や病気療養中の方でも安心して泊まれます。

元愛農高校で教鞭をとっていた石原昌武ご夫妻とその子どもたちのご家族が有機農業や肉牛の飼育、手づくりパンと自然食品と雑貨の「マナの店」、さをり織り(体験できます)などを生業として、土に根ざした暮らしを営んでいるする素敵なところです。(我が家と同じ年頃の子どもがたくさんいて、子どもたちはすっかり仲良くなり、大はしゃぎ)

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石原昌武さんが最初に私たちを連れて行ってくれたのは、忘勿石(わすれないし)がある南風見田(はえみだ)の浜。

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最初はこの浜でもずくを集めていたので、もずく取りのために連れて行ってくれたのかなと思ったのですが、その奥に、忘れてはいけない悲しい歴史が刻まれていたのです。

そこは、戦争の末期にこの対岸にある波照間島から強制集団疎開させられた人々がマラリアに罹患し多数が亡くなった場所でした。とくに体力のない子どもたちと老人が多く、何の治療もできずに次々と亡くなっていく子どもたちを見送った当時の識名校長先生が、そこの岩に「忘勿石(わすれないし)ハテルマ シキナ」と刻んだのでした。

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現在ある慰霊碑にはここでいのちを落とした66名のお名前が刻まれています。

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人口2000人の美しいのどかな離島にもこういう歴史が残っているのが沖縄。岩に手を合わせて、ひたすらホ・オポノポノをしていました。

ごめんなさい、許してね、ありがとう、愛してる。

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マナの店の手づくりパンはおいしいですよ。天然酵母パンもありピザパンのソーセージも肉は使っていません

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沖縄中に咲き乱れるハイビスカス(地元ではアカバナー)

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世界中で激減しているマングローブも西表島では健在でした。


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2 件のコメント:

Reiko in Kurihama さんのコメント...

西表島古見、娘を連れて行きました。
石原さんにもそのとき、お会いしました。
そこの小学校に行こうと思っていたの。

ここで、お名前を聞くコトになろうとは・・・。

愛農関係で久門さんの話をしたのを覚えています。
たぶん、写真のマングローブの林で遊びました。

海の少し手前に村のお宮さんがあったでしょう?
その向かいの新しい村営住宅に入る予定で準備していたの。
村の都合で、取りやめになったのだけどね。

なんだか、懐かしい話です。

匿名 さんのコメント...

神奈川県にある登戸学寮の「方舟」の記事で、ゆうわむらと石原一家を知りました。勤め先の高校では、園芸部顧問をつとめていますし、果樹と野菜と花を混植したキッチンガーデンを世話していますので、いちどは訪問してみたいと計画しています。もうすこし畑の様子を知りたいと思います。続編を書いていただければありがたいのですが。