こちらにきてからずっとインターネットがつながらなくて、メールは残念ながら受信も送信もできません。今やっと微かなゲリラ電波(無線LAN)を拾って、このブログを書いています。かなり不安定なので、なるべく早くアップしなくては!こっちにきてからずっと忙しくて、まだ家族に電話もいれていません(iPhoneにしたら使い方がわからなくて....。玄さん、子どもたち、元気にしているから、心配しないでね)。
地下鉄の中。東京そっくり!
地雷の被害者にも会いました。かつて、そこに米軍基地があったときに基地で働いていた韓国の人たちによって自然発生的にできた村で、退職後に畑をやろうとして非武装地帯に入ったときに、両足を吹き飛ばされてしまったリーおじいさん。世界各地から集まった私たちを家に招き入れて、体験を語ってくれました。
民間人立ち入り禁止区域の中にある彼の村と家に案内をしてくれたのは、これまたリーさんという写真家。彼は米軍基地の写真を撮ったことで国家安全保障法違反で逮捕されていましたが、日本を含む世界的な支援があって無実を勝ち取り釈放された人です。その署名は実は私もしていたので、その本人に会えたことに驚きました。
地下鉄の中の売店、日本と変わらない
鉄条網にびっしりと結ばれた平和のメッセージを見ながら(ほとんどがハングル語で読めないけれど)、沖縄の辺野古でも同じ光景を見たことを想い出していました。
この会議の中心人物ブルース・ギャグノンとロータス
国家体制が違っても、市民は戦争など望んでいません。
南北朝鮮の軍事境界線を実際に訪れ、国家分断の影響を間近で見聞きした人と、そうでない人の間で理解が違ってしまうのは当然です。今回、立命館大学の藤岡先生のお陰でこの会議に参加することができて、よかったです。これから韓国や北朝鮮のニュースを聞くときに、わたしの理解の仕方が違ってくるでしょう。
二日目の今日は、朝から一日会議場に缶詰で実に長いプログラムでした。各国の報告(とくにミサイル防衛の推進役である米国の報告が多かった)を聞きながら、いかに多くの国々が米国の外交政策の影響を受け、また数多くの抵抗運動や反対運動があるのかを知って、ちょっと途方にくれました。でも、どの国にも決してあきらめない市民たちがいて、実にクリエイティブな運動を展開しています。
韓国代表団のメンバー
平和を望む市民と、あくまでも武力による防衛を目指す側とのせめぎ合いが、この会議に参加したあらゆる国々(アメリカ、イギリス、イタリア、インド、オーストラリア、オランダ、韓国、スウェーデン、台湾、中国、ナイジェリア、日本、モンゴル、ロシア)でありました。
でも問題の根っこは一緒。一言でいうと戦争(軍事)依存経済と資源争奪をしなくてはならないような持続不可能なライフスタイル。これを変える取り組みは無限にあると言えます。自分の好きなやり方でやるのがいいでしょう。
軍事境界線へのフィールドトリップにいくバスの中で
とりあえず、無事ソウルに着き(ハングル語がまったく読めないし言葉がわからないことを除いて、地下鉄や町の様子は東京と変わりません)、地下鉄を乗り継いで会議場にも自力で辿り着き、ミサイル防衛がテーマのとっても難しい会議の通訳をなんとかやっている、ということだけ報告しておきます。おやすみなさい!
フリーダム・ブリッジの上で
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