2009/04/19

人為的につくられる緊張:ピョンテクの米空軍基地で

ミサイル防衛(MD)に反対する国際会議の最終日4月18日は、午前中に「グローバルネットワーク(GN)」という各国のMD反対グループの国際ネットワークの総会が行われました。

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軍事境界線近くで。日本のお寺に似ている

どこのNGOにとっても大切な予算や人事(理事や顧問の推薦と承認)、活動報告と次の活動の提起(今年の10月2日から平和と非暴力のための世界行進ニュージーランドのウエリントンを出発して世界中を3ヶ月かけて行進することや、10月3−10日の宇宙平和週間の開催など)、第18回(次回)国際会議の開催国の選定(2010年、インドでの開催が決定)、などの全議題がスムーズに話し合われました。

お昼は会議場を出て近くの韓国料理レストランで済ませ(そこは日本人チームが前の晩に祝杯をあげたところでもあります)、午後1時にバスを1台借り切ってピョンテクという基地の町へ出発。まるで東京みたいなオフィス街らしき高層ビル群を車窓から眺めながら南下し、ソウルから1時間半ぐらいで広大な米空軍基地前に到着。最近この基地の拡張工事があり、住民の強制立ち退きが行われたところです。

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リボンには平和や南北統一への願いが

米軍基地の前で地元のメディアのためのミニ集会(そういえば、初日の38°線の視察も、大きく写真入りでハンギョレ新聞にトップ掲載されていました。国際NGOの行動がこんなに大きく取り上げられることは、日本では考えられません)。地元の活動家たちの歓迎の言葉と現状報告を受け、こちら側からはGN代表のブルース・ギャグノンさんとGPPACの東北アジアを代表してピースボートの川崎哲さんが連帯のあいさつをしました。

ギャグノンさん自身がかつて米空軍兵士で、基地の外でベトナム戦争反対のデモをしている人たちの言葉を中で聞いているうちに、心の中で何かに火がつき、良心が揺さぶられて兵士を辞め平和活動家になった経験を話してくれました。「私たちの話を今も米兵たちは聞いているはずです。そしてかつての私のように心が揺さぶられ、平和活動家に生まれ変わる兵士がいるかもしれません。ここにある大木のように、私たちはここに基地がなくなり、この土地がピョンテクの人々に戻されるときまで動きません」と。訳しながら熱いものがこみ上げてきました。

昨夜、宿に戻ってから真夜中近くまで彼と語り、インタビューもしましたので、あとで英語のブログとポッドキャストをアップします。今回の滞在中で最も親しくなった人の1人です(911事件の公式説を疑っている数少ない平和活動家でもありました。ただし、アメリカの平和活動家の間でも911事件を大っぴらに問うことは、まだタブーだとも教えてくれました)。

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ピョンテックの米空軍基地は、沖縄の米軍基地のように高い鉄条網がはりめぐされているのではなく、ぐるぐる巻きの有刺鉄線があるだけでした。周辺には農地が広がり、拍子抜けするぐらいのどか・・・というか、セキュリティーの甘さに驚きました。北に向けられて配備されているミサイル(PAC2)も弾薬庫も外から丸見えなんです。改めて、「緊張は人為的に作られているのだ」、ということを再確認した次第。

私たちは地元の基地反対グループの平和活動家たちに歓迎され、バスから乗用車に8人位ずつ分乗して基地周辺をあちこち視察しました。途中、トイレ休憩をする場所がなくて、急遽地元の消防署に寄ったことは、忘れられない思い出です。韓国の消防署のトイレに列をなす外国人の私たちの姿はどう考えてもユーモラスなものでした。写真を撮っておけばよかった!消防署の職員はとても親切でしたよ。それにしても、小さな田舎町の消防署なのに、日本の田舎町の消防署(例えば私の住む鴨川の消防署)とは比べ物にもならないぐらい立派なビルだったので、ビックリしました。

そして、最後の晩餐会。今回の滞在中で最も美味しい韓国料理を堪能しました。大きな広間にずらりと並ぶ大きなテーブル。次から次へと大皿小皿の料理が運ばれてきます。床に直接座る日本式(韓国式)だったので、西洋人はつらそうでした。アメリカ人で一人だけキレイに正座をしている男性を発見。ニューヨークから来たデニスさんでした。彼は私のローフードのアドバイスもすぐに受け入れてくれた素直な人。最近、私は正座も苦痛ではなくなったのですが、これもローフードの成果かもしれません。

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非武装地帯にあるイムジンガク

韓国人と日本人は顔も服装もあまり見分けがつきません。ただ韓国女性のほうが、肌がつやつや光っているように見えます。それは食べ物のせい?それともお化粧のせい?肌の美しさは韓国女性にはかないませんが、町の様子、地下鉄の中の感じ、ホテルの中も日本と何ら変わりません。違うのは言葉と食べ物ぐらい、と思いました。

私は韓国語は「こんにちは(アンニョンハセヨ)」と「ありがとう(カムサハンミダ)」しか知りません。なのでアメリカよりむしろ韓国のほうが外国旅行の苦労と楽しみが多いことを発見しました。わずか1時間40分の飛行時間なのに、「外国に来た!」というのをばっちり体感できた韓国滞在でした。また来たいです!

今、これを金浦空港で書いているのですが、朝5時半に起きて、国際会議場のある「ソウル・ウーマンズプラザ」を6時すぎに出て、地下鉄で空港に辿り着いたのですが、乗り換えのときに韓国語が読めずにうろたえ(英語表記も探せばあるが小さいか、少ない)、また「次は金浦空港」という表示の「次は」というのがわからずに、到着したと思って間違えて一つ前の駅で降りてしまい、外に出て迷子になり、またキップを買って入り直すことになったり、(これで10分は遅れた)、空港駅に着いてからも、反対側にある国内線ターミナルに行ってしまったりして、予定の到着時間を大幅に過ぎてしまいました。

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写真撮影境界線(ここから先で写真を撮ってはいけない、という線)。なんか滑稽!

それでも無事チェックインを済ませることができ、今はこうして出発ゲートで自分が乗る飛行機を目の前に、これを書いているわけです(アップするのはたぶん今日の夜中かな。東京で無線LANが拾えるといいけど)。

東京に戻ったら、まっすぐアースデイ東京が行われている代々木公園に直行です。今日の夜6時からサステナの事務所で昨日正木さんとマエキタさんが発表した計画の最初の会合があります(2011年の統一地方選で1000人の「みどりの子どもたち(20代の若者達)」を立候補させる計画。関わりたい方(応援したい方。とくに「みどりのお母さん」を1000人募集中)は5時半までに代々木公園内の「東京ピースフィルム倶楽部(東京平和映画祭)」のブースに来て、私を見つけてくださいね。

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非武装地帯にあった地雷で両足を吹き飛ばされたリーおじいさん



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1 件のコメント:

豊島耕一 さんのコメント...

ゆみさん,どうもお疲れ様でした(私は疲れない,と言ってましたっけ?).
私も短い記事と写真をブログに書きました.
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2009-04-19
ギャグノンさんの基地前スピーチはyoutubeにアップしました.
http://www.youtube.com/watch?v=CsMkAjuGA3k