あれから10年が過ぎて、一番下の子ももう10歳。子どもたちはそれぞれやりたいことや、お友達の方が良く、もう私とは出かけたがりません。もちろん、私ももう仕事場に子どもを連れていく理由はないので、一人でどこへでも行きます。
311の日、私は東京の池袋で東京平和映画祭のための試写会で出かけていました。私のいたところはかなり揺れて(東京でも場所によって揺れの大きかったところと小さかったところがあったようです)、高層ビルがゆらゆら揺れるのを見上げながら、あのビルが崩れてきたら自分はここで家族に会えないまま死んでしまう、と一瞬思ったほどでした。
地震のあとは携帯も全くつながらなくなり、Twitterでつぶやくことで自分が無事生きていることを家族に伝えていました。翌日、家族に再会するまで、本当に心細かった!もう二度と家族と離れたくない、と思いました。
実際、あの地震のあと私は、夫や子どもたちと離れることが怖くなってしまいました。トラウマかもしれません。地震や津波を体験し、家族を失ったり、命からがら生き延びた人たち、とくに子どもたちは、どれほど怖い思いをし、親と離れるのが心細いでしょう。
そんな中、福島の子どもたちが親元を離れて沖縄に1ヶ月も子どもたちだけで飛び立ちました。
*福島の子どもたち、羽田到着! http://t.co/L4HL1uB
*福島の子どもたち、無事沖縄到着!http://mothership2012.ti-da.net/e3503169.html
この1ヶ月の体験が福島の子どもたちにとって、心身ともに癒され、成長することにつながりますように。
今、このブログを私はホノルルの空港ロビーで書いています。子どもたちと夫とハワイ島でお別れし、一人、日本へ国連軍縮会議に参加するために帰国します。ちょっと心細いですが、子どもたちは私がいなくてももう平気。お土産に買ってほしいもののリストをくれるぐらいで、寂しがる様子もありません。
親と子はある程度の年齢になったら、離れても大丈夫。でも、放射能と子どもたちは、遠くに離してあげてくださいね。特に女の子はもう将来卵子になる細胞を体内に持っているので、可能な限り、内部被曝を避けてあげてください。
沖縄に子どもたちを送り出してくれた福島のお父さん、お母さん、どうもありがとうございます。「つなぐ光」として信頼に応えたいと思います。
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