2011/01/23

母の旅立ちを見送って

羽田空港の国際戦ターミナルでサンフランシスコ行きを待ちながら、これを書いています。

思えば3日前、ここで同じ便にまさに乗り込もうとしているとき、姉からの電話で呼び戻され、母の元へ駆けつけたのでした。

母は1月21日、入院していた越谷の十全病院で息を引取りました。75歳でした。脳梗塞をしたあとは話せないまま、最後は心不全を併発して亡くなりました。

母ののJPG

母の容態が急変した1月20日に、私は非暴力コミュニケーション(NVC)の一年間のリーダーシップトレーニングを受講するために夜中の便でサンフランシスコに発つことになっていました。

その日は第8回東京平和映画祭の実行委員会に出席してから空港に向かうつもりで、スーツケースを持って東京に向かっていたのです。そのとき姉から、母の容態が思わしくない、と電話が入り、そのまま病院へ向かいました。

病院に着くと、母は無意識の中、頭を左右に降り続けていました。まだ目は見えているようで、私が声をかけると反応があります。すでに血圧が下がり始めていたので、血圧を上げる薬を投与されており、呼吸は150〜60で苦しそうでした。私は母の足の裏の腎臓や心臓や肺のつぼをマッサージしましたが、そんなことが効くような状況ではありません。

私の乗る予定のフライトは出発が羽田、時間は真夜中過ぎだったので、出国に間に合うぎりぎりの午後8時半まで病院にいて、それから空港へ向かいました。空港で玄さんと合流し、無事出国手続きを済ませましたが、母のことが気になり、機内に乗り込まずロビーにいました。そして、ファイナルコール後の最後の乗客になろうとした瞬間、姉から電話があったのです。

「もう今晩が山場だと思うと医師から言われた。アメリカに行くかどうかはゆみが決めればいいけど、戻ってきた方がいいと思う」

母ののJPG

大きな決断でしたが、私はそこでアメリカ行きを断念し、玄さんを見送り、出国手続きを取り消しました。空港を出る頃にはもう真夜中を過ぎていて、越谷まで行ける電車はすでになく、北千住行きの深夜バスに乗り込みました。そこまで甥っ子に迎えに来てもらい、一路病院へと急ぎます。

病院に着いたのは午前1時半過ぎだったでしょうか。母はもう頭を振っていませんが、呼吸は相変わらず早く、目の焦点が合わずに宙をさまよっています。担当医の話では心臓がかなり弱っているので、持ち直すかどうかわからない、とのことでした。

病室には姉と私(母の子ども全員)、姉の夫、姉の3人の子どもたちが集まっていました。私は足の裏をマッサージしたり、腎臓を暖めたりしていましたが、少しずつ母の体が先の方から冷えていくのがわかりました。

やがてだんだん心臓の鼓動がゆっくりと弱くなっていって、子どもと孫が見守る中で静かに亡くなりました。1月21日、午前4時25分でした。

亡くなった直後は苦しそうな顔をしていたので、長い闘病生活は本当につらかったのだろう、と思いました。その後、看護婦さんが彼女の体から様々な装置や管を外し、院長先生が体をキレイにしてくれました。午前7時に母を病院から自宅に搬送し、生前、両親が眠っていた部屋に安置しました。

するとまもなく、彼女の表情が変化して、仏さまのように微笑んでいます。最後の苦しみから解放されたからなのか、最愛の父との再会を果たしたからなのか、それとも自然とそうなるものなのか。

ともかく、私は母の微笑む顔を見てなんとも安心したのです。母はもう苦しんでいない、と心から思えました。

その晩は父と母が最後に暮らした越谷の家で、母と同じ部屋で寝ました。翌日は午後2時に母がまだ元気だったときに暮らしていた板橋区の小豆沢ホールに搬送され、身近な家族だけで納棺しました。そしてお通夜は私と娘がホールに泊まり、今日、午後1時から家族だけの告別式、それから出棺して戸田斎場で荼毘に付し、初七日の法要まで無事終えました。

母のことでは、生前の母のことを知らない人からも、本当にたくさんの暖かいお言葉やアドバイスをいただきましたので、ここに報告させていただきます。どうもありがとうございました。

母が亡くなった日はなんと偶然にも父の誕生日でした。母にとって最愛の人だった父と、今はもう一緒になっていることでしょう。父の誕生日プレゼントとなって母はあちらの世界に旅立ったんだね、と家族の誰もがこの偶然をそのように解釈しました。

あの日、姉の電話があと数分遅かったら、私は機中の人となっており、母の最後に立ち会えませんでした。そして今、こうして彼女の旅立ちをきっちり見送り、3日遅れて渡米します。

もう母と会えないのは淋しいけれど、心は静かです。母はきっと、私が非暴力コミュニケーションを学ぶことを応援してくれると思います。

それでは、私も旅立ちです。

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6 件のコメント:

是々非々 さんのコメント...

高校同窓生の一人として、謹んでお悔やみ申し上げます。遠くから応援してくれているはずです。そう信じましょう。

匿名 さんのコメント...

面識はございませんが

心からお悔やみ申し上げます

合掌

匿名 さんのコメント...

お母様の写真、特に亡くなった写真は撮らずにブログに掲載もしないほうがよいと思います。

フクヤン さんのコメント...

 このたびは母上様ご逝去との由、心からお悔やみ申し上げます。
 謹んで母上様のご冥福をお祈り申し上げます。

ピース さんのコメント...

お母様のご冥福を祈ります
お父様の誕生日に向うに往生なされたのは、あなたの日常が一因ではありましょう。
今後も普遍的に大切な言葉と情報を広げてください

ブルーポピー さんのコメント...

お母様のご冥福をお祈りいたします。
天国で、お父様と共に、いつまでも、お幸せでありますように。

ゆみさんとご家族皆様のご健康をお祈りいたします。