2011/10/01

WEジャパン21で再会「生きて会えてよかった」

この映像(@宮城県階上中学校)は、何度観ても泣いてしまう。被災した人たちのことを一時も忘れまい。

9月30日は、横浜駅西口から5分の神奈川県民センターに行ってきました(29日のフラ公演の報告は写真と共に後に)。

地域でリサイクルをして、その資金でアジアの女性を支援し、より平和で安心して暮らせる社会をつくろうとしている「WEジャパン21」が主催の講演会でお話をさせていただいたのです。

会場に入ると、そこには懐かしい顔ぶれが。

20年ほど前、神奈川ネットワーク運動(その母体は生活クラブ生協)が国際協力NGO「地球の木」を立ち上げるときに、私はアドバイザーとして関わっていました。仕事として、「地球の木」立ち上げイベントをプロデュースしたのもその頃で、東京から新横浜まで定期的に通っていました。その頃、活躍されていた郡司真弓さんや山中悦子さんなどに久しぶりに再会し、彼女たちがその後も生き生きと活躍していることを知りました。20年経っても「全然変わってないですね〜」と互いに言い合いました。

私を講師に推薦してくれたのは郡司さんで、彼女はなんといわき市出身でした。彼女は今、福島の子どもたちを支援する活動を準備中であることも知りました。

話を聞きにいらしてくれた方の中には、『戦争中毒』も読んでくれている人がたくさんいたり、私のブログを書かさず読んでくれている方がいたり、アクティブでパワフルな女性たちが集っていました。

そうそう、効率の悪い冷蔵庫から省エネ冷蔵庫への買い替えへの疑問が出ました。確かにあのプレゼンテーションでは、新しい冷蔵庫をつくるのに投入された資源とエネルギーについては考慮していません。根本的に消費を減らすのが私はいいと思っているので、私が目指すのは、冷蔵庫なしの暮らしですね(目の前の畑が冷蔵庫)。確かにこれ以上モノはいらないです。

あれから20年たちました。当時彼女たちは40代、私は20代。どちらもあの時からずっと脱原発を訴えて来たけれど、311原発震災を迎えてしまった。残念でくやしくて、忸怩たる思いです。

それでも私も彼女たちも、生きています。
生きている間は、できることをやるだけです。

最後に「私たちにできること」として伝えたことはこれ:

*原発がなくても電気は足りていることを知り、伝える
*子どもたちが健康に育ち、安心して暮らせる社会をつくる(原発や戦争に頼らない)
*あなたがメディア(伝える人)になる
 →きくちゆみのブログとTwitterもその一例
*今生きている奇跡に感謝し、あなたが幸せに生きて、周りの人を幸せにする

今日も、「生きててよかった」って思いました。明日は朝一番、北海道へ飛びます。


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